ユマニチュード 人間性を取り戻すケアの哲学と技術

ユマニチュード 人間性を取り戻すケアの哲学と技術

「ユマニチュード」という言葉をご存知でしょうか?ユマニチュードは、フランスで生まれた独自のケア技法で、認知症患者とのコミュニケーションを劇的に改善する効果があるとされています。特に高齢化社会の日本では、ユマニチュードの技法がどのようにケア現場に変化をもたらすのでしょうか。ユマニチュードは「見る」「話す」「触れる」などの人間らしい接し方を大切にし、ケアを受ける人の尊厳を守ることを重視しています。

この記事では、北星学園大学の大島寿美子教授から、ユマニチュードの基本から、実際の効果など、詳しく解説していただきます。ユマニチュードが単なる技術ではなく、ケアを通して人と人との繋がりを深める新しいアプローチであることを感じていただけるでしょう。

ユマニチュードとは?40年の歴史を持つコミュニケーション・ケア技法

クリックアンドペイ(以下KL):はじめに、そもそもユマニチュードとはどういったものかを教えていただけますか。

大島氏:はい、ユマニチュードはフランスで考案されたコミュニケーション・ケア技法です。40年以上の歴史を持ち、さまざまな発達過程を経て、ケアをする人とは何かを考え、人としての尊厳を守ることを大切にした哲学と、実際にその考えを実践するための技術として体系化されています。

ユマニチュードはケアを必要とするすべての年代、すべての状況に役立つ技法として開発されましたが、特に脆弱な高齢者や認知症の患者さんへの効果が高いということで広く利用されています。

日本にユマニチュードが導入されたのは、約10年前です。国立病院機構東京医療センターの本田美和子医師が、フランスでユマニチュードが高い評価を受けているという雑誌記事を見て、考案者に連絡を取ったのが始まりです。本田医師は、日本に導入すれば多くの方に役立てていただけるのではないかと考え、日本での普及を始めました。

ユマニチュードの「4つの柱」と「5つのステップ」

KL:ユマニチュードがどのような技法なのか、もう少し詳しく説明していただけますか。

大島氏:ユマニチュードが認知症のケア技法として知られるようになった理由から説明させていただきます。

日本に最初に導入された時、メディアの方々に非常に関心を持っていただき、新聞やテレビで多く取り上げられました。最近でも多くのメディアに取り上げていただいていますが、メディアの方々、そして記事や番組を通じてユマニチュードを知った方々が驚かれるのは、ケアを受けている認知症の高齢者の方の様子があっという間に変わるということでした。

例えば、ケアを拒否したり、大きな声で怒鳴ったり、暴れたりして、ケアが困難な方がいらっしゃいます。ケアをする側はこのような方々への関わりが難しいと感じ、困ってしまう状況が時々あります。

しかし、ユマニチュードの技術を使って関わると、ケアが難しかった方があっという間に穏やかになり、ケアに協力してくださるようになることが少なくありません。このような劇的な変化から、ユマニチュードは認知症のケア技法として知られるようになりました。

ただし、先ほども申し上げたように、ユマニチュードはケアが必要な人であれば、どのような人であっても使うことができる技法です。高齢者でも、小児でも、年齢を問わず利用できますし、施設や病院だけでなく、ご家庭でも街中でも使えます。

では次に、ユマニチュードの技術について説明します。中心となる技術は2つあります。「4つの柱」と「5つのステップ」です。

「4つの柱」 見る、話す、触れる、立つ

まず、「4つの柱」から説明していきます。4つの柱とは、「見る」「話す」「触れる」「立つ」で、「見る」「話す」「触れる」はコミュニケーションの柱、「立つ」は尊厳の柱です。

私たちは日常生活の中で「見る」「話す」「触れる」というコミュニケーションをあまり意識せずに行っていますが、ユマニチュードではこれらを独特の方法で行います。独特と言っても特別なことではなく、私たちが生まれたばかりの赤ちゃんや自分が大事にしたいと思っている人に対して自然にできる見方、話し方、触れ方などです。ユマニチュードではそれを意識的に行います。

具体的に説明すると、例えば「見る」時は、正面から水平に目を合わせ、ケアを受ける人にとって居心地が悪くならないような距離で、できるだけ近づいてしっかりアイコンタクトします。自分が好きな人の場合、大抵みんな自然に正面から近く目と目を合わせていますよね。それと同じように、ケアを受ける人にも視線を向けるということです。

「話す」時も自分が好きな人に話しかけるように、優しく穏やかな声で肯定的な言葉や励ましの言葉を使うようにします。このような行為は、大事にしたい人に対しては、誰でも自然にできることです。

「触れる」時には、痛みを与えないよう、心地よさを持続させるように広く柔らかくゆっくりなでるように、包み込むように触れていきます。

ユマニチュードでは、このように「見る」「話す」「触れる」というコミュニケーションを行うことによって、優しさや喜び、愛情、信頼といったメッセージを伝えることができると考えます。

また、コミュニケーションをする時には、「見る」「話す」「触れる」の少なくとも2つ、できれば3つを同時に行うことを提案しています。情報学的にはこれを「マルチモーダルコミュニケーション」と呼びます。複数の感覚器(視覚、聴覚、触覚)を通じて一貫性のあるメッセージを届けることで、ケアを受ける人に自分が尊重されている、大事にされていると感じてもらいやすくなる効果があります。

続いて、4つ目の「立つ」について説明します。「立つ」は、日常生活の中に立位(立つこと)や歩行(歩くこと)をできるだけ多く取り入れるというものです。

赤ちゃんを想像すると分かりやすいのですが、生まれたばかりの時は寝た状態ですが、成長していくとだんだん座ることができるようになり、立つことができるようになり、歩くことができるようになります。そうすると周りの人もとてもうれしいですし、本人も誇らしく思い、嬉しく感じます。

病気をしたり高齢になったりして、立って歩くことが難しくなると、ケアの場では安全面を優先して、「座っていてください」「寝ていてください」と伝えることが多くなります。しかし、そうすると安全は確保できるかもしれませんが、健康状態が悪化したり、健康状態の改善が遅くなったりする恐れがあります。

したがって、ユマニチュードでは生活の中で1日合計20分以上立つ・歩くことを推奨しています。この時間は細切れでもよく、例えば、歯を磨く時でも、トイレに行く時の数分を積み重ねるのでかまいません。転倒が心配な場合は、どこかに掴まって立っていただいたり、椅子を後ろに用意して疲れたら座れるようにしたりして安全を保ちます。

このようにして1日合計で20分以上立つことができれば寝たきりにはならず、亡くなる最後の日まで立つことができるという考え方をしています。以上がユマニチュードの「4つの柱」です。

「5つのステップ」 ケアの手順

KL:もう1つの技術「5つのステップ」についても教えていただけますか。

大島氏:はい、「5つのステップ」は先ほど説明した「4つの柱」を使って、ケアをする手順を示しています。

5つのステップは以下の通りです。

  1. 出会いの準備
  2. ケアの準備
  3. 知覚の連結
  4. 感情の固定
  5. 再会の約束

実は、私たちはこの5つのステップを日常生活の中で自然と行っています。例えば、友達の家に遊びに行く場合を想像してみましょう。

  1. 「出会いの準備」は、友達の家に到着してインターホンを押したりノックしたりすることに相当します。
  2. 「ケアの準備」は、友達が出てきてくれたら「こんにちは、会いたかった」と言って関係性を作る時間です。
  3. 「知覚の連結」が実際にケアをする時間になります。友達同士でお家に遊びに行ったとしたら、一緒に食事をして、おしゃべりを楽しみながら過ごす時間に相当します。
  4. 「感情の固定」は、だんだん帰る時間が近づいてきて名残が惜しくなってきた時に、「今日楽しかったね」と一緒に過ごしたひとときを振り返る時間です。
  5. 「再会の約束」は、次にいつ会うかを約束したり、具体的な日時が決まらなくても「また会いたいね」と言って次に会いたい気持ちを確かめ合う時間です。

ユマニチュードでは、この5つのステップをケアの中にも取り入れることを提案しています。

日常生活の中で自然と行っていることを、なぜ5つのステップとしてわざわざ提案しているのかというと、ケアをする時に、私たちはついついケアのことだけで頭がいっぱいになってしまい、最初の「出会いの準備」や「ケアの準備」をせずに、すぐにケア内容を伝えてしまうことがあるからです。

先ほどの友達の家に遊びに行った時の例で考えると、インターホンも押さずにガチャガチャとドアを開けて、「空いてたから」とズカズカと入っていって「美味しそう」と言ってテーブルの上の食事を食べ始めたら、とても不審な人だと思われてしまいますよね。普通はこの手順を必ず踏んでいるのです。

しかし、ケアをする時に具体的な仕事で頭がいっぱいになると、最初の二つの段階を飛ばしてケアを始めてしまうことがあります。そうすると、ケアを受ける方、特に認知機能が低下した方は、何が起きているのかを理解できず、突然ケアを始められることで心地が悪くなり、ケアを受け入れにくくなってしまいます。

5つのステップの最初の段階をしっかり行い良い関係性を築くことによって、ケアを受け入れてもらえる可能性が大きく広がり、ケアを受ける側も気持ちよくケアを受けることができるようになります。

最後の2つのステップも同様に重要です。ケアが終わった後に、次の仕事があるからといってすぐに帰ってしまうと、ケアを受ける人にとっては「ケアをするためだけに会いに来た人」という印象を与えてしまい、関係性が損なわれてしまいます。

そうならないためにも、「とても素敵でしたね」「たくさん食事を召し上がれましたね」といった肯定的な言葉でケアを受ける人を高く評価し、良い関係性を確認し合います。そして別れるときには、ただ「また来ます」と伝えるのではなく、しっかりと相手の目を見て話しかけ、時には触れながら「また来ますね」と言って名残を惜しんで別れます。

5つのステップを踏むことによって、ケアを受ける人の中に「自分を大事にしてくれる人が来てくれた、良い人が私のことをケアしてくれた」という記憶が残ります。そうすれば、次もケアがしやすくなるという効果があります。以上が、ユマニチュードの「4つの柱」と「5つのステップ」の説明です。

ユマニチュードの魅力は徹底的な「大切にする」のメッセージ

KL:認知症ケアの技法は他にも色々たくさんあると思いますが、ユマニチュードならではの魅力をおしえていただけますか。

大島氏:認知症ケアには例えばパーソン・センタード・ケア(患者を1人の人として尊重し、その人の視点や立場に基づいたケアを提供する方法)や、バリデーション(認知症の人の感情を受け入れ、共感していくコミュニケーション技法)と言われる技法など様々な技法があります。その他にも認知症ケアの専門家の方々が論文や書籍を通じてケア技法の開発や普及につとめているものもあります。

ユマニチュードはこのような技法と共通する部分もたくさんありますが、ユマニチュードの特徴の1つは「4つの柱」と「5つのステップ」という技術を通じて「あなたを大切に思っています」ということを本人が理解できるように伝えることを大事にしているところです。

また、もう1つの特徴は、教育体系がしっかりしているところです。例えば、見る時には、正面から水平に長く見るように提案していますが、この見方は学んで実行することができます。普段無意識にしていることを意識的にできるようになるには練習が必要ですが、練習すれば自転車に乗るのと同じようにできるようになります。一度身につければ、自転車を久しぶりに触っても乗ることができるように、自然に使えるようになります。

ユマニチュードは「Humanitude」と綴ります。フランス語の造語で「人間らしさを取り戻す」という意味があります。ケアは人間的な営みですが、高齢化が進み、認知機能や身体機能が低下して通常のコミュニケーションや自立した生活が難しくなった人々へのケアがこれだけ必要な社会は、人類がこれまでに経験してこなかったものです。ユマニチュードという言葉には、初めて直面する事態の中で、人間的な関わりが失われてしまっているのではないかという問題意識が含まれています。

ユマニチュードでは、意識レベルが低下している人や、自力で起き上がれない人に対しても、4つの柱、5つのステップを活用して積極的に関わることを推奨しています。ケアを受ける人の人間的な側面をケアすることで、見えにくくなっている人間性を引き出し、取り戻すことができます。ケアをする側とケアを受ける側が、人間と人間としての関わりを亡くなる最後の日まで築くことができるという考え方に基づいています。

「出会いの準備」の重要性 ケアの第一歩

KL:ユマニチュードの5つのステップの中で、「出会いの準備」が特に重要だと感じましたが、先生はどうお考えですか。

大島氏:出会いの準備は非常に重要です。例えば、病院で患者の部屋に入る際、ノックはするものの、返事を待たずに入室してしまうことがよくあります。ユマニチュードでは、出会いの準備として「待つこと」が大切です。

自分が来たことを知らせ、出会いの許可を取ることが重要です。例えば病室では、ノックをして3秒待つと、多くの患者さんが何らかの反応を示します。言葉で返事ができなくても、首を持ち上げて目を見たり、体を動かしたりすることができる人も少なくありません。そういった反応を確認してから近づいていくことを推奨しています。

KL:ユマニチュードはケアに限らず、コミュニケーション全般に適用できる考え方だと感じました。一方で、ケアの現場ではこういったコミュニケーションの基本が疎かになっているのではないでしょうか。

大島氏:確かに、ケアの現場は非常に忙しく、多くの患者や利用者を少人数でケアしなければならない状況があります。したがって、通常の人間関係では大切にされるコミュニケーションの要素が、忙しさを理由に省かれてしまうことがあります。

多くの場合、患者や利用者は自分がケアを受ける立場であることを理解し、ある程度の我慢をします。しかし、認知症の方の場合、脳の機能低下により、そういった我慢が難しくなることがあります。ある意味自然な反応がそのまま出てくるため、ケアの困難さにつながっているのです。このような状況において、好きな人には誰からも教わる必要なく、自然に行っている行動をケアの対象者に対しても意識的に行う(人間が他者との良好な関係をもちたいときに本能的に行っている行動を意識的に実行する)ユマニチュードのアプローチが特に有効になると考えています。

劇的な変化をもたらしたユマニチュードの実例

KL:続いて、ユマニチュードの実例や効果について、具体的に教えていただけないでしょうか。

大島氏:ユマニチュードの実例は数え切れないほどたくさんあります。日本でメディアに取り上げられ、現在ネット上でよく見られているのは、2014年頃に放送されたTBSの「報道特集」という番組の動画です。「報道特集 ユマニチュード」とネットで検索すると、TBSのYouTubeチャンネルの番組として「新たな認知症ケア ユマニチュード」という動画が出てきます。動画は既に230万回以上再生されており、多くの人に視聴されています。動画に登場する方を、私たちも講演などでよく紹介しています。

動画に登場する方の1人は脚を骨折して入院した90代の認知症の男性です。動画内で、この男性に対し看護師さんたちが口腔ケアを行おうとしますが、非常に苦労します。3人がかりで働きかけても、男性は口を開けようとしません。

この男性のもとに翌日、ユマニチュードを学んだインストラクターとユマニチュードの考案者が会いに行きます。先ほど説明した4つの柱と5つのステップで関わり、口腔ケアをすると男性はすんなりと口を開けてくれるのです。

男性の息子さんは、父親の笑顔を見て、まるで別人のようだととても感激しています。

口腔ケアがうまくいかなかった看護師も、ご本人を大切に思っている優しい心をお持ちなのに、ケアでは力づくで体を動かしたり、脅しているように見えるのは、「あなたを大切に思っています」という気持ちを相手が理解できるように表現できなかったからです。

ユマニチュードでは先ほどご紹介したように、「自分が大好きな相手に対して本能的に行っている行動を、ケアの対象者に意識的に実行する」ことで、「あなたを大切に思っています」というメッセージを相手に確実に届けることができます。

このような事例はたくさんあります。

ユマニチュードの効果を裏付けるデータ

KL:ユマニチュードの科学的なデータや効果についても教えていただけますか。

大島氏:科学的なデータという点では、2017年から2023年まで、日本科学技術振興機構の研究費を受けて行われた研究が注目されています。ユマニチュードを日本に導入した本田美和子先生と、主に工学系や心理学系の先生方が一緒になって、ユマニチュードによるコミュニケーションの定量化や分析、教育システムの開発などを行いました。

例えば、顔認識や機械学習手法を使って、「見る」技術を評価するシステムを開発しました。アイコンタクト量や視線の傾き、距離などを測定して、「見る」技術がどの程度熟達しているかを経時的に評価するシステムです。

現在は、拡張現実(AR)技術を使って、ケアを行う人の動きを測定し、ユマニチュードの技術がどの程度使われているかを評価するシミュレーション教育システム(HumanitudE AR Training System: HEARTS) も開発され、医学部や看護学部の教育に導入されています。

臨床的なデータとしては、家族介護者がユマニチュードを学んで実践したところ、認知症の行動・心理症状が緩和されたり、介護者の負担が軽くなったというデータがあります。

病院の集中治療室での研究もあり、集中治療室で働く看護師がユマニチュードを学んだところ、入院した患者の身体拘束が半分になり、せん妄(急に起こる意識や認知の混乱状態)が5分の1に減少したというデータも出ています。

歯科の分野でも、歯科医師や歯科衛生士がユマニチュードを学ぶと、認知症患者への共感度が上がり、患者の口腔の健康状態が改善したというデータもあります。

また、長期療養の介護施設に入所している認知症高齢者に対する抗精神薬の処方率が減少したというデータもあります。

このように、ユマニチュードには様々な効果が報告されています。

KL:動画で見たような事例は、特殊なケースなのでしょうか。それとも、ユマニチュードを導入することで、同じような劇的改善が見られるものなのでしょうか。

大島氏:先にお話したようにユマニチュードの技術で関わると驚くような変化を見せるケースは珍しくありません。メディアでも多くの事例が紹介されていますし、先ほど紹介したように研究データでも実証されています。従って、動画の事例は決して特殊なケースではありません。

すべての人に瞬時に大きな変化を起こせるわけではありませんが、ユマニチュードは基本的なコミュニケーション技法なので、劇的に変わる事例もたくさんあります。例えば、何年も寝たきりだった人が起きて話し出すような、魔法のようだと言われるようなことも起きています。

私もユマニチュードのインストラクターの資格を取得するための10週間の研修を受けたとき、実習で技術の力を実感しました。肺炎で入院後に歩けなくなり、車椅子に乗って、テーブルに顔を伏せてばかりいた方が、2日間で伝い歩きができるようになったのです。

その一方で事例によっては難しいと感じることもありました。時には変化が見られても、別の時間帯ではもとに戻ってしまうという例も経験しました。

もちろんこれは私の技術の未熟さにも原因があったのだと思いますが、実はユマニチュードの目的は劇的な改善をすることではないんです。ユマニチュードの目的はあくまで良い関係性を築くこと、相手の自律を尊重して関わることです。考案者は、ケアには成功も失敗もない、ただうまくいかないときには理由があるだけ、と述べています。

ユマニチュードの課題と展望 さらなる普及と研究の必要性

KL:では、ユマニチュードの今後の課題はあるのでしょうか。また、課題に対する具体的な改善策があれば教えていただきたいです。

大島氏:人によって異なると思いますが、私が考える課題はいくつかあります。1つは、まだ十分に普及していないことです。メディアでも取り上げられていて、ユマニチュードという言葉を聞いたことがある人は増えていますが、ユマニチュードの持つ魅力や、ケアをする側にもたらす喜びについては、まだ十分に伝わってはいません。

多くの人は、ユマニチュードを実践するとケアの時間が長くなってしまうのではないかと懸念しています。このような誤解を解くことも課題の1つです。

また、臨床研究でさまざまなエビデンスが蓄積されてきていますが、医学領域で重視されるランダム化比較試験(RCT)の結果はまだ出ていません。これも課題として指摘されています。

これからの課題に取り組んでいくための私たちの努力がまだ足りていないと感じています。私は現在本を執筆中で、様々な執筆活動や研究を通じてユマニチュードを知っていただくよう努めていきたいと思います。

ユマニチュードにはさまざまな研修プログラムがあります。日本ユマニチュード学会でも主に市民や家族の方々を対象に、ユマニチュードを知っていただくためのオンライン講座を提供しています。このような研修を多くの人に受けてもらうことが、1つの改善策だと考えています。

ケアの現場から生まれたアプローチ

KL:ユマニチュードがまだ知られていないというのが課題点とおっしゃられていましたが、ユマニチュードをケアだけでなく、コミュニケーションの技法として、誰でも使えるように紹介された方が広まりそうな印象を受けました。

大島氏:実は、私も同じことを考えていました。ただ、ユマニチュードはもともとケアの現場から始まっています。ユマニチュードの開発経緯を簡単に説明しますね。

ユマニチュードの考案者の1人イヴ・ジネスト氏は体育学の教師をしていて、フランス政府からの委託を受け、最初は看護師の腰痛予防のための移乗技術を教えるということでケアの場へと入っていかれました。

ジネスト氏にとって、ケアの場は驚くことの連続でした。例えば、麻痺のある体の大きな男性を車椅子に移乗しようするときに、ジネスト氏が「起きてください、車椅子に移りますよ」と声をかけ、手を差し出したところ、手を握って起き上がったという出来事がありました。

この出来事に看護師さんたちは非常に驚きました。というのも、自分たちがケアをしている時は全く声も上げずに、言われるがままに体を拭かれていた人が、自ら動いたわけですから。しかしジネスト氏にとっては、看護師さんたちの日常ケアの中では、人が能動的に動くということがあまり想定されていないということの方が驚きでした。

このような経験から、考案者は、人間が自ら動く力をむしろ活用してケアをすることを考えるようになったわけです。

考案者がケアの専門職ではなかったということが、ユマニチュードを誕生させた1つの理由だと私は思っています。ケアの場で当たり前のことが、外から来た人にとっては当たり前ではないというところが開発のきっかけになったのですから。

このように、ユマニチュードはケアの現場から始まった技法ですので、やはり普及もケアの場を中心に広がってきています。フランスでもそうですし、フランス以外の世界各国でも同様です。日本でも日本に導入したのが医師だったこともあり、医療や介護業界を中心に広がってきたというのが、ケアの技法として普及している1つの理由だといえるでしょう。

その一方、私がユマニチュードのコミュニケーション技法としての側面に魅力を感じるのは、私自身がもともとジャーナリストで、科学と社会との関係に関心があり、特にコミュニケーションという観点から科学と社会との関係を見るところに強い関心を持ってきたためです。

ユマニチュードはもちろんケアの場でケアを受ける人とケアをする人の関係性を大きく変える可能性のある技法だと思いますが、コミュニケーションの観点からユマニチュードを見た時、我々の日常生活を見直すためにも非常に重要だと考えます。

例えば、メールを書くという1つの作業でも、「ユマニチュードの5つのステップを意識して書くと違うよ」ということを伝えたりしています。他にも、忙しいと日常生活ではついつい要件などがある時に、後ろから相手に声をかけたりしてしまう時があると思います。オフィスでも大抵の場合はそれで仕事は続いていくと思いますが、気持ちがいいかと言われたら、そうでもないという時もあるのではないでしょうか。

そんな時に、病いを持っている人と同じような念入りなコミュニケーションではなくても、「5つのステップ」と「4つの柱」を意識して、特に最初の3つのコミュニケーション(見る、話す、触れる)の中で、「今の場面では何が適切か?」ということを自分で評価して、その場にふさわしいコミュニケーションを自分で選択することができると、人との関係性が良くなるのではないかと思います。

人間中心のケアテックの可能性

KL:最後になりますが、読者には起業家志望の学生が比較的多いので、起業家志望の学生へ向けたアドバイスをお願いします。

大島氏:ケアの場にも、DX(デジタル技術を使って業務やサービスの効率や質を向上させる)を取り入れようという動きがあります。起業を目指している若い方々の中には、日本の超高齢化社会が抱える問題を解決する方法として、新たな技術を開発しようと考えている方もいるでしょう。それはとても重要な取り組みだと思います。さきほど紹介したユマニチュードのコミュニケーション技術を拡張現実を用いて学ぶシミュレーション教育システムHEARTSもそのような取り組みのひとつです。

技術を開発するのであれば、ケアを受ける方が「自分が大切にされている」と実感できるような視点を忘れずに持っていただけると嬉しいです。多くのケアテックは、ケアをする側の効率化や負担軽減に焦点を当ててきました。しかし、ケアを受ける人がより幸福を感じられる技術が発展して欲しいと思います。

また、技術開発の過程で高齢者と関わる機会がある際には、ユマニチュードの技法を取り入れることで、より良い関係性を築けるのではないかと思います。良好な関係性が築ければ、高齢者からより多くの情報が得られ、研究や開発の成果にもつながるはずです。皆さんには、ぜひユマニチュードを学んでいただければと思います。