スウェーデンは「北欧の福祉国家」として知られています。
スウェーデンの社会システムは、特に透明性の高さと社会福祉制度の充実度において、非常に高い水準を誇ります。こうした、日本とは大きく異なる社会システムを詳しく見ていくことは、海外に関心を持ち目を向けるきっかけとなるでしょう。
そこで今回は、スウェーデンで経済学でPh.D.を取得し、計15年以上スウェーデンに住まわれていた早稲田大学教授、福島淑彦先生にお話を伺いました。
福島 淑彦 / Yoshihiko Fukushima
早稲田大学 政治経済学術院 教授
【プロフィール】
慶應義塾大学経済学部卒業、同大学大学院経済学研究科前期博士課程修了(経済学修士)後、米系投資銀行ソロモン・ブラザーズ・アジア証券会社勤務を経て、2003 年スウェーデン王立ストックホルム大学経済学研究科博士課程修了 (Ph.D.)。
名古屋商科大学教授を経て 07 年より現職。
専門は労働経済学。
スウェーデン社会は透明性が高く社会福祉制度も整っている
クリックアンドペイ(以下KL):それでは初めに、スウェーデン社会の特徴について教えていただけますか?
福島氏:まず挙げられるのは、社会の透明性が日本に比べてはるかに高いことですね。
スウェーデンは社会福祉制度が日本よりもはるかに充実しています。しかし、制度にただ乗りをする人、ズルをする人が多いと、充実した社会福祉制度を維持することはできません。つまり、社会福祉制度は、その制度にただ乗りをしようとする人が不正をできない制度でなくてはならないのです。そのためには、福祉サービスを受けるべき人が適切に受けられ、そうでない人が排除される状態、すなわち社会全体の透明性が高いことが求められます。社会の透明性を高めるためには、十分な情報公開が必要不可欠です。
世界100ヵ国以上に同じ質問をしてアンケートを取っている世界価値観調査というものがあります。世界価値観調査は5年に一度実施され、各年のサンプル数は一つの国で1,000以上、総回答者数は40万人を超える大規模な調査です。この調査の中で、「失業保険を受給する資格がない状態で、あなたは失業保険の申請を行いますか」という質問に対して、「申請しない」と答えているスウェーデン国民の割合は調査対象国の中でトップクラスです。一方、日本は全体の平均よりも低い水準となっています。「資格がなくても、あわよくば失業保険を受給できるなら申請しておこう」と考える人が日本には多いということです。つまり、社会福祉制度にフリーライドしようとする人が多いということです。なぜスウェーデンではフリーライドしようとする人が少ないかと言えば、たとえ無資格の人が申請したところで、すぐにばれてしまうからです。スウェーデンには日本のマイナンバーに相当する「国民番号=パーソナルナンバー」が1940年代後半から運用されていて、その番号には個人のありとあらゆる情報が紐づけらえています。例えば、(1)住所や家族構成などの住民登録に関する情報、 (2)個人の所得、所有する不動産や自家用車、負債、納めた税金、受け取った児童手当などの補助金、納付した年金保険料、受取年金、銀行取引、民間保険取引などのお金に関する情報、(3)教育、雇用、失業に関する情報、(4) 過去の医療費の支払いや決済、病歴や医療歴などの健康に関する情報 、(5)運転免許証、交通違反歴、犯罪歴などに関する情報、(6)出入国やパスポートに関する情報、(7)兵役に関する情報、などです。ですので、資格がない人が保険申請をしたとしても、パーソナルナンバーをチェックすれば受給資格があるのか否かが簡単にわかってしまうんです。日本ではコロナ禍の際に政府が多くの助成金や補助金を支給しましたが、支給を担当した中央省庁の職員の中にも、自分で会社を設立して何百万円もの不正申請・受給した例が数多くありましたよね。
日本ではこうした不正が頻繁に起こりますが、スウェーデンではめったに起こりません。そもそも、不正をしても意味がないことを国民が理解しているのです。
パーソナルナンバーによって政治でも不正が防止されている
KL:スウェーデンにも日本のマイナンバーにあたる制度があるのですね。スウェーデンでパーソナルナンバーが導入された背景としては、どういった事情があったのでしょうか?
福島氏:パーソナルナンバーには長い歴史があります。1947年に導入され、1967年にデジタル化されました。
社会福祉が充実すればするほどそのコストも増え、国民が負担する税金も増えます。しかし、税金が安い国では税金の使途への関心があまり高くありません。加えて、税負担が少ない国では、政府が税金の詳細をわかりにくくしている傾向も見られます。
自分で確定申告を行う人は、その年の収入や経費、納めた税額についてよく理解していると思いますが、日本では労働人口の8割以上がサラリーマンで、年末調整を会社が行います。そのため、街中でインタビューしても、自分が支払っている所得税や住民税の額をすぐに答えられる人は少ないでしょう。また、日本ではふるさと納税のような制度があり、税負担を軽くする方法もありますが、寄付を受けた自治体の処理は見えにくくなっています。
こうした視点で見ると、スウェーデンでは政治家の裏金問題のような不正は発生しません。寄付に関しても、法人を含めてすべての人や団体がパーソナルナンバーを持ち、デジタルで管理されています。そのため、お金の出し手と受け手が一目でわかり、受け手が申告していなければすぐに不正が疑われます。たとえば法人が経費を削減するためにどこかに寄付をした場合、その情報は即座に税務局に伝わり、相手先が申告を怠っていれば脱税が明らかになります。
福祉の充実には多くの資金が必要です。それを国民が負担するとなれば、税金への関心が高まり、政治がどのようにお金の使い道を決めているかに注意が向くようになります。この結果、国民自らが政治家の行動を監視する姿勢が生まれます。こうした積み重ねが、スウェーデンの現状を築いているのだと私は考えています。
KL:日本でマイナンバーの導入が行われたのは、スウェーデンのような国々にならっての動きなのでしょうか?
福島氏:正直、日本の場合はスウェーデンと同じような社会システムを形成していくことは難しいと思います。
マイナンバーは税務申告などと紐づけられていますが、隠す所得がない人にとっては特に問題ありません。しかし、日本で所得がすべて明らかになることで一番困るのはおそらく政治家でしょう。そして、マイナンバーのルールを決めるのもまた政治家です。政治家が自分たちにとって不利となる政策を進める可能性は低く、マイナンバーが普及しても裏金問題がなくなるとは考えにくいです。ただ、日本の経済状況がさらに悪化し、税負担が増すようになれば、変化が起きるかもしれません。
一方、スウェーデンでは全員が確定申告を行っており、経費の使い方や税金の高さについて日頃から意識しています。しかし、日本では確定申告をする人が少なく、政治に関心が薄いのが現状です。加えて、日本とスウェーデンの政治家で大きく異なるのは、スウェーデンの政治家には経済的な利得がほとんどないことです。特に地方議員は報酬がなく、仕事が終わった夕方から夜にかけて議会が開かれるため、議員報酬目当てで政治家になる人はいません。そのため、スウェーデンの政治は非常にクリーンだと言えます。例を挙げれば、日本の国会議員は飛行機のビジネスクラスやファーストクラスを利用できる上に、マイルも貯まり、そのマイルを私的に利用することが可能です。しかし、スウェーデンでは議員は基本的にはエコノミークラスで移動し、その際に貯めたマイルも申告が必要です。もし議員が公費で移動した際に貯まったマイルを私的に使えば即座に不正とされ、議員活動は続けられません。スウェーデンで政治家を目指す人々は経済的なメリットがあるから政治家を目指すのではなく、国や国民のために貢献したいという信念から政治家を目指すのです。
ただ、日本でも副業をする人が増え、多くの人が自分で確定申告をする機会が増えれば、少しずつ意識に変化が見られるかもしれませんね。
KL:福島先生は、スウェーデンで実際に生活されて、パーソナルナンバーや透明性の高さなど、不便に感じることはありませんか?
福島氏:スウェーデンで生活していても、不便だと感じることはほとんどありませんでした。むしろ便利だと思うことが多いですね。例えば、以前スウェーデンで運転中に、うっかり免許証を家に置いてきたまま運転してしまったことがありました。運悪く検問中の警察官に車を停められ、免許証の提示を求められました。そういった状況ですと、日本ではペナルティや罰金が科せられますよね。しかしスウェーデンでは警察官にパーソナルナンバーを伝えると、その場で違反歴や犯罪歴が確認され、特に問題がなければ「気をつけて帰ってね」で済みます。
パーソナルナンバーは自分だけのものですが、パーソナルナンバーに紐づけされた情報の多くは情報公開されています。ですので、パーソナルナンバーが原因で犯罪に巻き込まれる心配もほとんどありません。
また、スウェーデンでは基本的にスウェーデン語が使われていますが、英語が話せれば生活に支障はありません。街中のコーヒースタンドの年配の店員さんも英語を話します。スウェーデンをはじめとする北欧諸国の国民は、英語が母国語でない国の中で最も英語が堪能な国民だと思います。
病院に行く際に、英語での会話が難しい場合には、通訳を手配してくれます。また、選挙情報も英語に加え、アラビア語やスペイン語などで提供されており、移民の人々には母国語の語学教室や家庭教師のサポートも税金で行われています。つまり、ダイバーシティという観点からも、スウェーデンの社会システムは非常に整備されていると感じます。
海外を見渡すことで日本の現状と今後取るべき道が見えてくる
KL:最後に、スウェーデン社会から日本が学ぶべきこと、取り入れるべきことについて、教えていただけますか?
福島氏:やはり、社会全体をもっとクリーンにしなければいけませんし、そのためにも国民、特に若い人が政治に関心を持つことが大切だと思います。
政治への関心が高まれば、政治家も無駄遣いがしにくくなり、より有効な政策が展開され、私たちの生活にもプラスの影響があると考えます。ただ日本では、学校での政治教育に対する制約が強すぎるというのが私の個人的な印象です。以前ある高校生が政党のパンフレットを配布して停学になったケースもありました。こういう制約自体がおかしいという意識を持たなければいけないと思います。政治だけではなく、日本の学校ではお金に関する教育もほとんど行われていません。しかし、社会に出るとお金の知識は非常に重要です。株式投資のような専門的な内容ではなくても、お金や政治について、より現実的で実生活に役立つ教育が必要だと思います。
それから若い人にはもっと日本の外の世界にも目を向けてほしいです。現在の円安をベースに、日本の生活水準と海外の生活水準とを比較するだけで、日本がどれだけ貧しくなってしまっているかが実感できるはずです。国全体のGDP、企業でいえば利益のようなものですが、日本のGDPは、1960年代後半にアメリカに次ぐ世界第2位となりましたが、2010年に中国に追い抜かれました。さらに、2023年にはドイツにも抜かれ、現在は世界第4位となっています。 日本も付加価値の生み出し方を見直す時期にきています。
日本の一人当たりGDPは3〜4万ドル程度で、世界順位も1990年代から大きく後退しています。先進国の中で過去23年間で平均所得が減少したのは、日本とイタリアだけです。他の先進国、例えばスウェーデンでは30%以上増加しています。
スウェーデンは日本と同じように製造業を中心に経済を成長させている国です。そうした観点から、日本が豊かさを取り戻すためのヒントがスウェーデンには多くあるように思います。北欧諸国の中でも平均所得が増加している国々を見ると、アイスランドは地熱発電が盛んでアルミニウム産業が成長し、ノルウェーは石油という強力な天然資源を持っています。しかし、日本は天然資源が限られているため、より豊かになるためにはどうすれば良いのか、スウェーデンのやり方は参考になるはずです。
日本はさまざまな面で世界の変化に追いつけていない部分があります。また、これからの世代は海外との取引などで英語を使う機会が増えていくでしょう。だからこそ、若いうちから海外に目を向け、旅行や留学などで、実際に日本の外の世界を体験してほしいと思います。大学生と話していると「海外なんて行かなくてもGoogleマップの写真で街の状況がわかるし、ネットで情報も手に入ります」と言われることがあります。しかし、やはり現地で感じる景色や匂いは特別です。韓国ならキムチの匂いが漂うような独特の雰囲気があり、アジア圏は暑さだけでなく不思議な香りに包まれています。教育や生活の違いを肌で感じると、日本の良さや課題もより見えてくるでしょう。特にこれから社会に出る若い人たちには、ぜひ世界を見てほしいと願っています。