アントレプレナーシップ教育は社会人基礎力に自己理解力まで備えた人材育成を行う

アントレプレナーシップ教育は社会人基礎力に自己理解力まで備えた人材育成を行う

起業家を志望する人が増えている今、アントレプレナーシップ教育も注目を集めるようになってきました。

アントレプレナーシップ教育は「起業家教育」とも呼ばれ、狭義には起業家を育成するための教育と考えられています。しかし実は、アントレプレナーシップ教育には人間性を成長させるような要素が非常に多く含まれているのです。

そこで今回は、実際に現場でアントレプレナーシップ教育をされている、豊橋技術科学大学の土谷特定准教授にアントレプレナーシップ教育で得られるものについてお話を伺いました。

アントレプレナーシップ教育は自ら考え行動する力を育むもの

クリックアンドペイ(以下KL):まず初めに、アントレプレナーシップ教育とはどういうものか、教えていただけますか?

土谷氏:アントレプレナーシップ教育とは、新たな事業を生みだしたり、新しい価値を創出するための社会人基礎力や思考力を養うための教育です。

アントレプレナーシップ教育はよく、起業するための人の教育といわれますし、確かに起業志望の方々にとってプラスになる内容も含まれています。ただ、最初に押さえておいていただきたいのは、アントレプレナーシップ教育は起業する方のみを対象とした教育、というわけではないということです。

アントレプレナーシップ教育で身につくものとして、私は4つのスキルがあると考えています。経済産業省が示しているのは、考え抜く力や前に踏み出す力、チームで働く力という3つで、それらを社会人基礎力と呼んでいます。しかしながら、私や教育仲間の間では今挙げた3つに加えて、自己理解力が今の社会で自ら育つ人材を育成するには欠かせないのではないかな、と考えているんです。

大学では「大学に行けば何か教えてくれる」というスタンスの学生が非常に多いんですが、こちらから教えることはもちろんあるにせよ、やはり自分たちで考えることが重要なんですよね。わからないことがあったら何でも教えてもらう、ではなく、まずは自分で考えてみる。そういう習慣をつけることで、様々な思考力が身につき、課題感を持ち、自ら考えて行動していく人材が自然に育っていくと思うんですね。

KL:アントレプレナーに関しては、課題解決力もよく取り上げられるイメージがありますが、課題解決力について含まれていないのはなぜなのでしょうか?

土谷氏:確かに課題解決力は必要ですが、アントレプレナーに課題解決力そのものが求められる時代は変わり、これから必要とされるのは「課題を見つける能力」になります。

これまではアントレプレナーシップ教育も、インターンシップなどにおいても、企業から何かしらのテーマを与えられて課題解決をやっていくようなものが多かったことは事実です。しかし不安定な時代に突入し、価値観は大きく変わりました。また、AIの進化により、人に求められるスキルも変わってきました。AIはビッグデータ処理を行い、最適解を導き出すことを得意としているので、課題解決しかできない人はAIと勝負しなければなりません。現状はまだまだ人の方が優れているところがありますが、近いうちにAIの方が優れた課題解決をする時代になるでしょう。

つまり、今後の社会でアントレプレナーがすべきはAIと競うことではなくて、自ら課題を発見しAIに課題を与えることなんです。どんな社会を創造したい、こんな未来社会にしたい、とイメージすることで生じる現在とのギャップを考えると、こうしなければ、という課題が見えてくる。その未来社会に向けた課題をAIに与えることは人間にしかできませんし、どんな社会を作っていきたいかをイメージすることも人間にしかできません。それは先ほど挙げた中の考え抜く力や様々なスキルから育まれるものでもあり、これからの社会では自分自身が考えた課題をAIに与えられる、そんな学生を輩出する教育が求められるわけです。

アントレプレナーシップ教育は起業の成功率を押し上げる

KL:なるほど。すると、アントレプレナーシップ教育を受けているか、受けていないかで起業家として成功できるかどうかも大きく変わるのでしょうか?

土谷氏:成功率については、数字的には何も持っていませんが体感としては一桁、二桁くらいは違いますね。

アントレプレナーシップ教育を受けていない学生さんたちが起業すると、結構な割合でゾンビベンチャーになってしまっているんですよ。事業の柱がなくてバイトに明け暮れたり、助成金や補助金に依存しています。ビジコンに出てくるチームを見ていても、アントレプレナーシップ教育を受けずに独自のプロセスで学んできたチームは、プレゼンが素晴らしくてもアイデアが物足りないんです。なぜなら、アントレプレナーシップ教育を受けていない人は、本質的な教育の必要性をよく理解していない人が非常に多く、何回も同じ失敗をしてしまいます。

アントレプレナーシップ教育を受けているかが最も大きな差として表れるのは、私は社会人基礎力が身についているかどうか、だと思っています。今は大学を卒業して、就職しないまま起業する学生がすごく多いんですが、やはりそういう方々は苦労しているんですよ。私は起業においても社会人経験は必ず活きると思っていて、起業家を目指す学生に一度は社会に出て、3年以上は勉強してきた方が良いと言っています。なぜなら、アントレプレナーシップ教育を受けたらもう完璧ということではありませんし、必ず成功できるわけでもないからです。だからこそ、いろいろなことに対して備え、様々な経験をし、失敗するとしても次につながるような良い失敗を経験しておくことが大切なんです。

KL:失敗から学ぶことも、アントレプレナーを目指すにあたっては重要なのですね。では、実際にアントレプレナーシップ教育を受けたいと思った場合には、どのような選択肢があるのでしょうか?

土谷氏:アントレプレナーシップ教育を実施しているかどうかは、地域によって違いますし、社会人に開放している大学もあればそうでない大学もあります。

昔は10万円、20万円取るようなプログラムも多かったんですが、最近では無料や5,000円で実施しているところも多くなっていますから、アントレプレナーシップ教育に興味がある方にとってはプログラムを受けやすい環境にはなってきているのではないでしょうか。

ただし、アントレプレナーシップ教育が抱える問題点のひとつとして、教育内容が偏っていたり固定化されてしまっていることが挙げられます。本来、教育内容というのは個人や組織の目標、課題感によって変わってくるので適切な棲み分けが必要なのに、教育を受ける本人たちの希望との間に知らず知らずのうちにミスマッチが起きてしまっている。教育のプログラムに万能なものは存在しないので、プログラムの内容が自身の目的にマッチしているかどうかは確認すべきでしょう。

さらに、私たちの大学内でも起きていることなんですが、経営学さえ学んでいればアントレプレナーシップ教育ができる、という誤解が広まってしまっているのも問題点です。世の中にあるアントレプレナーシップ教育関連のプログラムは経営学をもとに考えているものが多いので、そういった誤解が生まれるのも致し方ない話ではあるんですが、経営学の知識だけをもとにプログラムが作られていると、アイデアを出すためのプロセスが大幅に省略されてしまっていることが多いんですよ。そうすると、高い確率で仮説検証プロセスでうまくいかなくなります。プロトタイピングをやっても方向性が定まらなかったり、壁打ちしてもイマイチだったり。それは元々のアイデアがイマイチだからなんです。また、アントレプレナーシップ教育のプログラムを探すのであれば、話だけを聞いて終わるようなプログラムは受けてもあまり意味がないかな、と思います。知識だけならAIで検索すればたくさん出てきますので、グループワークなど実践的な内容が伴っているかどうかが大事です。

KL:やはり、グループワークを通して得られることは多いのでしょうか?

土谷氏:そうですね。実際、私の講義を受けている学生を見ていても思うのは、グループワークで得られる経験値は聞くだけの講義とは比べ物にならないということです。

私の講義では、話している時間は2〜3割くらいしかなくて、ほかの時間はグループワークをやってもらっているんですよ。学生にとってはそういう講義は新鮮らしくて、幸福度ランキングを上げるというテーマで議論していた時、あるグループが「こうやって気の許せる仲間と議論している時間が幸せです」と言ったんです。日本は幸福度ランキングが低い国なんですが、どんな時が幸せだろう、から始まって話しているうちにそんな言葉が出てきた。グループワークを通して自分自身が前のめりになれそうな感じがすると充実感も生まれるし、「何のために学んでいるのか」が自覚できるので、アントレプレナーシップ教育が目指すスキルが自然と身についていくんですね。

私自身、富士フィルムに19年間勤めていたんですが、富士フィルムは写真フィルム事業が崩壊して、危機的な状況に陥ったことがあるんです。売上の7割くらいが写真フィルム事業だったのに、3年ほどでそれが無くなってしまった。しかも写真に必要な技術は特殊なものなのでほかの分野への応用が難しく、既存技術の延長線上で何かやる、というのが非常に困難な状況でした。そんな状況からどうやって脱したかといえば、小手先でやりくりするのではなく、アイデアを0から生み出していくことだったんです。コロナで皆さんも実感したように、常識はひっくり返るものですから、これまでと同じように考えていたら何も生まれてきません。そして何か思いついたとしても、いいアイデアでないとやはりビジネスにはつながらないので、アイデアの創出を徹底的に追求することが欠かせないわけです。

教育も同じで、今までのやり方に囚われずに多様化も考え、それぞれの環境にアジャストしていかなければいけません。その足掛かりになるのは、やはりグループワークなどで、アイデア創出のプロセスを徹底的にやっていくことなんです。

実践経験を経ることで能力も人間性も大きく成長していく

KL:机で学ぶだけでなく、実践的な経験を積み重ねることでアントレプレナーとしての能力も伸びていくのですね。

先生が教えられている学生さんの中には、ビジコン(ビジネスコンテスト)で賞を取っている方々もいらっしゃるようですが、ワークの中での成長も強く見られるのでしょうか?

土谷氏:まさしく、その通りですね。この間、ある学生がビジコンで3位になって副賞の50万円をもらったんですが、最初は目的も何も曖昧な状態だったんですよ。

最近は、何のために大学に入ったのかと悩む学生の割合が多くなっています。理由を探そうとなんでもかんでも手を出してしまって、学業や研究に身が入らない学生はやはりいるんです。そんな中、変な起業ブームがあって、迷える学生が身の回りの問題にそのまま飛びついて課題解決をし事業を始めようとすると、いろいろなことに振り回されてしまう。なのでまずはもう少し上位概念まで持っていって、社会問題またはその本質的な部分などについて深く考えることが必要になります。

実例として、先ほどのビジコンに挑戦した学生は自分の父親とおじいちゃんが2人とも糖尿病で、実家に帰って一緒に食事をしたら美味しい料理ではなかった、というところがスタートラインだったんです。今って人工甘味料が問題になってきていますが、人工甘味料を使わないとなると美味しさを保つことも難しいんですよね。だから、なんとかして美味しい料理を食べてもらいたいということで、その学生と一緒にいろいろなところに出掛けて行って、ある企業さんと出会ってヒントをもらったんですよ。

KL:自らの足で出向いた先でヒントを得た、と。どのようなヒントだったのでしょうか?

土谷氏:実は、光や土壌といった大豆の栽培環境を変えると甘み成分を砂糖に大分近づけることができるんです。

大豆は醤油や味噌などにも使われている私たちにとって身近な食べ物ですが、日本は今、大豆の供給のうち94%を輸入に頼っています。しかも世界の人口は今、80億人くらいなんですが、10〜20年ほど経つと100億人ほどまで膨れ上がるとされています。そうなると中国も大豆を輸入しているので、将来的には日本が輸入している分も全て持って行ってしまうのでは、といわれているんです。先ほどもお話ししたように、大豆は私たちの日常生活になくてはならない存在なので、大豆が不足すれば本当に危機的な状況に陥ってしまう。なので、将来的には大豆そのものを日本でも自給自足できるようにならなくてはいけません。しかしその一方で、実は大豆を調味料として使うことも、技術的にはもう少しで実現できるところまできているそうです。太陽光に加えて赤い光を当てるとか、土壌の栄養分でセンサーでコントロールすることで、甘い大豆を作れるようになっている。そうなると糖尿病患者の方々にも調味料として使っていただけるし、やはりタンパク質って人間にとっては大事な栄養素なので、そういった意味でも非常に効果的な食品といえるわけですね。

こうした大豆を取り巻く状況を知って、学生は父親やおじいちゃんと一緒においしい料理が食べられるんじゃないか、と希望を持ち始めました。それまで目標が定まらずにいた学生が、身近な問題から世界的な大豆不足や何億人といる糖尿病患者の方々の現状を知り、技術開発によってその人たちのために美味しい食事を提供できるようになるかもしれない、と意識したんです。

世界中に様々な問題がある中で、やはり糖尿病の家族がいるというような、身近な人の問題を解決するための取り組みというのは共感してもらいやすい。だからその学生には、徹底的に共感してもらえるようなプレゼンをして、技術的な問題に関してはここを自分でやる、というアピールをするように指導をしました。そうしたら、自分から率先してデータを調べたりし始めて、それまでフラフラとさまよっていた学生がいい感じに成長してくれたな、と。そうやって成長していく様子を直に目にしているので、実践で様々な経験を積むことは学生にとって、時に人生の転機にもなり得るような非常に大きな出来事になっているんだと思いますよ。

KL:小さな気づきやきっかけから得られる人間性の成長も、アントレプレナーシップ教育を通して得られる経験なのですね。

最後に、読者の方に向けてメッセージをお願いできますか?

土谷氏:アントレプレナーシップ教育は、大きくは社会で役に立つ人材を育てることを目的としています。

私たちの仲間内でも、アントレプレナーシップ教育はずっと抽象的で、教育効果がわかりにくいと話題になっていたくらいですから、まだそういったプログラムを受けたことがない方にはどんなメリットがあるか、わかりにくいかもしれません。ですが、最初のきっかけはそれこそビジコンの優勝賞金でも構わないんです。ビジコンは今、優勝賞金100万円を用意しているものも多くて、その賞金を目当てにトライする学生もたくさんいます。大なり小なり、それがきっかけになって考え方や行動が変わっていくことは珍しくないんです。今回のインタビューでご紹介した学生も、賞金が欲しいと思っていたし、起業家を目指している方の中には、ビジネスが成功した時の成功報酬であったり、社会に貢献した報酬としてお金を手にする夢を持っている方もいるでしょう。大切なのは、楽しむところは楽しんで、学ばなければならないことはしっかり学び、失敗しても諦めず前に進んでいくことです。良いビジネスプランを作ろうとすれば、どうしても外の企業の人の話を聞いたりする必要が出てきます。そして、ビジコンで優勝を目指すようなビジネスプランを構築する中で、今後の人生で役に立つ社会経験も自然と身についていくと思います。まずはどんなきっかけでもいいので、自ら考え、行動してみてください。