近年のキャッシュレス決済の急激な普及によって、私たちの日常生活の中にはQRコード決済など、新しい決済手段が定着しました。
キャッシュレス決済はレジでの時間短縮や現金が不要になるなど、様々なメリットがあり利便性の高い決済方法です。しかし、キャッシュレス決済には現金決済にはない注意点も存在します。
そこで今回は駒澤大学の代田教授に、キャッシュレス決済がこれほど急激に広まった理由や、キャッシュレス決済の今後についてお話を伺いました。
代田 純 / jun shirota
駒澤大学 経済学部 商学科 教授
【プロフィール】
1957年生。中央大大学院博士課程中退。博士(商学)。1991年日本証券経済研究所大阪研究所研究員。1994年立命館大学国際関係学部助教授を経て2002年より現職。同大学で経済学部長、副学長を努め、現在、同大学院研究科委員長。近著に、『入門銀行論』(有斐閣、2023年、編著)、『デジタル化する証券市場』(金融財政事情研究会、2023年、共編著)など。
キャッシュレス決済の普及は東京オリンピックに後押しされた
クリックアンドペイ(以下KL):日本は現金志向が強いといわれてきましたが、なぜ今はこれほどキャッシュレス決済が普及したのか、教えていただけますか?
代田氏:日本でキャッシュレス決済が普及した経緯としては、2019年に大規模なキャンペーンが展開されたことがかなり大きく影響しています。
そもそも、日本で現金志向が強かったのは、総合的に治安がとても良い国であること、そしてそれに付随して偽札の比率が非常に低く、国民の現金に対する信頼度の高さが挙げられます。お店とかで1万円札で払っても、店員の人が透かして見るようなことはほとんどない。お札を刷っている国立印刷局が出しているデータによると、日本の偽札発生率を1とした場合に、ユーロ圏は216なんです。アメリカは638、イギリスに至っては1619と、比率が全然違うんです。
しかも、日本では預金が全額保護されています。2005年の本格的なペイオフ解禁で、1億円預けていた人でも万が一、銀行が潰れた場合には元本1,000万円と利子分しか支払われない、という制度になりました。しかし、ペイオフ解禁の対象になっているのが定期預金などに限定されていて、利子のつかない普通預金や当座預金は対象外です。つまり日本は、決済用預金は全額保護されている非常に預金と現金の使い勝手がいい国なんですよ。
ですが、東京オリンピック開催が決定したことで、キャッシュレス決済の普及を推し進める必要が出てきました。海外の観光客が末端の小売店などでクレジットカードやデビットカードが使えないと困りますし、海外のキャッシュカードは日本のATMでは使えませんでしたからね。そこで、2019年に政府が旗を振ってポイント還元制度を始めたことで、急速にキャッシュレス決済の普及が進んだんです。
KL:なるほど。キャッシュレス決済の普及は、必要に迫られたものだったのですね。
代田氏:はい。ただ、キャッシュレス決済の導入を半ば強引に推し進めたことには弊害もあります。
PayPayにしろ楽天Payにしろ、基本的な原則は同じで、利用者数が一定以上に達しないと採算が取れません。しかも、手数料を高くしないとサービス提供側が儲からず普及が遅れてしまうので、東京オリンピックまでにどうにかするために、手数料率の上限を3.25%に設定したんです。最近少し下がってきてはいるものの、公正取引委員会の調査によると、2〜3年前の時点でも日本のクレジットカードの決済手数料は3.25%程度です。一方、欧州圏ではEUなどが率先して2010年頃からクレジットカードやデビットカードの決済手数料の上限規制を行っていて、現在は上限が1%になっています。
しかも日本の場合、海外に比べて圧倒的に高い3.25%の決済手数料は店舗側が負担しているので、キャッシュレス決済が普及し始めても現金のみの取り扱いというお店もまだまだ多いんですよ。しかも、特定のカードと特定の店舗とは、決済手数料をいくらにするかを個別に交渉しているので、世の中全体のマクロ的なデータはあまり頻繁には公表されません。あくまでも、公正取引委員会などが一斉調査などを行ってたまに出てくる程度です。
だからといって、消費者負担を増やせば消費者が使わなくなってしまう。今のままのシステムだと、店舗側の負担も商品の販売価格に上乗せされているのでは、という指摘は日本でも海外でもいわれていることで、それなら現金で払う方がいいのではないか、という意見も当然出てきています。結局のところ、決済手数料についての問題は現状、解決が非常に難しいんです。
キャッシュレス決済は時間の節約など様々な面で役立っている
KL:決済手数料の問題は、キャッシュレス決済が今後、超えなければならないハードルなのですね。
しかし逆に、こういった事情があってもなお、キャッシュレス決済を導入するお店が増えている理由としては何が考えられるのでしょうか?
代田氏:キャッシュレス決済を導入・使用するメリットとしては、3つ挙げられます。
1つ目は、私たち一般国民が日常生活の中で実感していることだと思いますが、レジの待ち時間短縮と利便性の向上ですね。現代社会は非常に忙しいので、レジでの支払い時間などは店舗側も短くしたいし、スピードアップになるなら取り入れたいんです。今は消費税の影響もあって、スーパーでもコンビニでも826円とか323円とか、1円単位の端数が多くなっています。これを現金で払うとなれば1円玉なんかをいちいち探さなければいけないし、お釣りも細かく出さなければいけないので、どうしても時間がかかってしまう。ですがキャッシュレス決済なら小銭をいちいち探さなくて良くなりますし、レジで1円単位のお金のやり取りをする必要もなくなります。実際、1円玉や10円玉をあまり持ち歩きたくないからPayPayで払う、といった人がすごく増えているように、現金を持ち歩かなければならない状況そのものを減らせるわけです。
そして、2つ目のメリットは人手不足の解消です。日本でも最近、人手不足がすごく言われるようになっていて、人手不足への対応でキャッシュレス決済を導入するケースも増えてきました。もともとヨーロッパでは労働力不足を補うためにキャッシュレス決済が始まったので、スウェーデンなんかでは現金が使える店舗の方がなくなりつつあります。ヨーロッパの中央銀行の中には、クレジットカードやデビットカード、QRコード決済などを比べて、時間とコストがどれくらい違うのかを計算しているような論文も存在するくらいです。人手をかけずに支払いを済ませることができる、という点はキャッシュレス決済を導入する明確な利点といえるんですね。
3つ目はコストについてなんですが、実は現金には社会的に見てすごくコストがかかっています。クレジットカードなどの手数料によるコストが現金にはないので、日常生活の中では現金にはコストがないと考えがちですが、日銀券の発行・製造コストは毎年数百億円くらい日本銀行で発生しています。それから、現金を引き出すためのATMの数が日本は海外に比べて非常に多くて、1台あたり数千万円といわれています。しかもメンテナンスも必要になりますし、盗難が発生しないように警備会社と契約したりもしなければいけない。一見、消費者側はそういったコストを負担していないように見えますが、結局はそれらのコストは銀行の経費になって、私たちが受け取る利子から引かれています。最近まで、日本の預金金利が0.001%くらいなのも、マイナス金利政策なども含め、様々な形での現金コストが影響しているわけです。キャッシュレス決済は、こういった現金コストの状況を変えつつあるんです。
ポイントの存在や使用シーンによって効果的に使い分けられる
KL:私たちが身近に実感できているところでも、なかなか認識できないところでも、キャッシュレス決済には様々なメリットが存在するのですね。消費者が実感しやすいものとしては、ポイント還元もメリットに含まれるのでしょうか?
代田氏:そうですね。ポイント還元は消費者にとってはメリットですし、ポイントの存在によってキャッシュレス決済が注目されている面は大いにあると思います。
最もポイント還元で注目されているのは楽天グループで、楽天カードをはじめ、グループ全体で楽天ポイントが稼げるように制度設計されています。ただ、実はこのポイント制度は消費者に還元されている点に関してはメリットなんですが、業者側からすると自分の儲けを削っているわけなので、キャッシュレス決済のサービス同士の競争は激しくなるんですよ。
その中で、私が個人的に注目しているのはSBIグループさんと楽天グループさんがやっている、銀行と証券との相乗効果ですね。今、新型NISAなども始まって、楽天証券やSBI証券で新規口座を開設してアメリカのGAFAを中心とする投資信託を買おう、という若い人がすごく増えています。ただ、その時にはどうやって入金するかという問題も発生する。ほかの系列の銀行から入金しようとすると当然、手数料が発生してしまいますから。その時に楽天グループなら楽天銀行、SBI証券なら住信SBIネット銀行があるので、消費者の負担なしで入金などができる上にポイントもつく。こうやって、ポイントをうまく絡めてキャッシュレス決済を扱っていけば消費者としても恩恵が大きいので、注目していきたいですね。
KL:キャッシュレス決済の大きな分類としては、クレジットカードやQRコード決済など、どの決済方法を使うと良いなどおすすめの方法はあるのでしょうか?
代田氏:正直、今はクレジットカードもQRコード決済も、消費者側の決済手数料負担は0なので、気分に応じてどれを使ってもいいと思います。
ただ統計的に、コーヒーやビールを一杯、といった小さな金額だとPayPayなどのQRコード決済を使って、数千円や1万円以上になってくるとクレジットカードを使う、というような傾向は世界共通で見られます。なぜそうなるかといえば、PayPayなどは実は引き落としにあたって、間に業者が入っているケースがすごく多いんです。仲介業者が入った上で銀行口座からの引き落としになったり、そうでない場合はコンビニのATMに行って現金をチャージしたりする。そうなるとどうしても、PayPayなどでは残高がそれほど大きくならないので、大きな金額の買い物をする時は残高不足になると困るからクレジットカードで払おう、となるんじゃないでしょうか。
個人的には、デビットカードは非常に便利だなと思っているので、もっと普及して欲しいですね。日本のクレジットカードは引き落としまでの期間が海外に比べるとすごく短くて、使ってから1ヶ月くらいで請求がきます。反面、海外では引き落としまでの期間がもっと長くて、クレジットカードとデビットカードの差がかなりはっきりしているんです。クレジットカードは入会審査が厳しい反面、デビットカードは審査なしで、銀行口座を作ればセットになってついてくる。だからアメリカでは、デビットカードは主に若い人が使っているといった特徴があるんです。ところが日本では、クレジットカードとデビットカードにあまり違いがありません。しかも日本ではクレジットカードの入会審査の基準が緩く、希望すれば大体の人がカードを持つことができる。となると、デビットカードに対する独自の需要があまりないんです。ですが実は、海外ではデビットカードはとても便利なんですよ。以前、2週間ほどフィンランドに行った時には、デビットカードが普及していたので現金はほとんど必要ありませんでした。小売店で何か買ったり、軽く何か食べたりしても、ほとんどデビットカードで支払いができる。場合によっては暗証番号すらいらない。なので、私個人としてはデビットカードがもっと普及するといいな、という希望がありますし、皆さんにもデビットカードの利便性は体験してみていただきたいところですね。
キャッシュレス決済を取り巻く環境の変化に柔軟に対応しよう
KL:なるほど。では、キャッシュレス決済を活用する際に注意すべき点などはあるのでしょうか?
代田氏:キャッシュレス決済の利用が今のところ、スマホやタブレット、パソコンなどに依存していることは留意しておくべきでしょう。
日本は地震国家なので、大きな地震の発生で電力の供給不足に陥るリスクを抱えています。もし大地震で電力供給が断たれれば、キャッシュレス決済が一切使用不可能になってしまう状況も考えられるわけです。また、類似のトラブルとしてシステムダウンの可能性も常にある。システムダウンとまではいかなくても、決済しようとした時につながりにくくなったり、アプリが起動しなかったりといったトラブルが発生することが有り得るんです。キャッシュレス決済は便利ですが、こういった万が一に備えておくことは必要になると思います。
KL:確かに、手軽かつ便利に使えるだけに使えなくなる可能性も頭に入れておくべきですね。
最後に、今後の展望について伺いたいのですが、将来的にキャッシュレス決済はどういった方向性に進んでいくと考えられるのでしょうか?
代田氏:現状、キャッシュレス決済は決済手数料が全体的に高いことがネックになっています。
なので今後、中央銀行によるデジタル通貨が日本でも本格化してくれば、注目に値する動きになるでしょう。中央銀行のデジタル通貨なら、今私たちがキャッシュレス決済で行っていることを、消費者側も店舗側も手数料なしで支払えるようになる。しかも、導入端末などでお金がかかるようならすでにPayPayや楽天Payが使える店舗は導入を見送るリスクが増すので、中央銀行デジタル通貨を本格化するとすればコストは0になるように進める可能性が高いでしょう。日本銀行は今のところ、導入するかどうかは未定というのが公式見解ですが、前向きに導入が進んでいけば、未だ発展途上にあるキャッシュレス決済がさらにもう一段階先へと進むきっかけになるはずです。