1930年代、現在の日本の株式市場とは、まったく異なる姿をしていました。この100年近くの間に、日本の株式市場はどのように変化し、そこから私たちは何を学べるのでしょうか。
この記事では、1930年代から現代に至る日本株式市場の変遷を辿りながら、投資の本質的な知恵を探ります。戦時統制経済下での株式市場の姿やコーポレートガバナンスの変化、そして時代を超えて生き残った銘柄の実態をフェリス女学院大学の齊藤直教授に伺いました。
歴史は繰り返すといわれますが、株式市場の歴史を学ぶことで、未来の投資戦略のヒントが見えてくるかもしれません。
齊藤 直 / nao saito
フェリス女学院大学 国際交流学部 教授
【プロフィール】
早稲田大学大学院商学研究科博士後期課程修了、博士(商学)
早稲田大学商学部助教、フェリス女学院大学国際交流学部准教授などを経て2017年より現職。
主な著作:『現代日本経済 第4版』(有斐閣、2019年)、『産業経営史シリーズ11:金融業』(日本経営史研究所、2019年)、『国策会社の経営史』(岩波書店、2021年)
1930年代から現代へ株式市場100年の変遷
クリックアンドペイ(以下KL): 1930年代の株式市場についてお伺いします。まず、1930年代から現代にかけて、株式市場にはどのような変化がありましたか?
齊藤氏: 1930年代から現代に至るまで、株式市場は大きく変化しました。約100年という時間が経過し、当時と現在を比べると、むしろ変わっていない点を見つけるほうが難しいといえるでしょう。
まず、大きな変化のひとつは株式の取引方法です。1930年代には、「清算取引」と呼ばれる先物取引が中心で、実際の株式の受渡を行わず、差金決済を行う形が一般的でした。所有権の移動を伴わない株式取引ということになります。しかし、戦後に先物取引に対する規制が強化され、現物取引、つまり株式の所有権が移動する取引が中心になりました。
もうひとつの変化として、取引銘柄の集中度が挙げられるでしょう。戦前は限られた「花形銘柄」に取引が集中し、一部の銘柄の極めて大きな売買高を記録しました。差金決済による先物取引ですから、実際に動いた現金はそれほど多くはありませんでしたが、記録された売買高は非常に大きなものでした。一方、現代では、もちろん人気のある銘柄は存在しますが、戦前のようなごく一部の銘柄への売買高の集中は見られません。投資家は幅広い選択肢の中から投資先を選ぶことができます。
また、株式の種類にも違いが見られます。戦前の株式市場では、同じ企業が払込済金額が異なる複数の種類の株式を発行していました。例えば、三菱重工業が発行した株式であっても、払込済金額の違いに応じて「旧株」と「新株」があり、それぞれ別の株価で取引されていました。しかし、戦後の商法改正により、株式分割払込制度が廃止されたことにより、同一企業が発行する複数の株式が存在することはなくなりました。
次に、取引の透明性についてです。戦前は、現物取引に取引所集中義務がなく、取引の多くが取引所外で行われていました。したがって、取引全体の状況が不明瞭で、統計データも残っていません。しかし、戦後、取引所集中義務が導入され、現物取引を中心とする株式市場の基盤が整えられました。
他にも、企業の資金調達方法も大きく変化しました。戦前には大企業の資金調達は株式による部分が大きかったのですが、1930年代末からの戦時経済統制により、銀行からの借入が高い比率になりました。もっとも、金融自由化が進んだ1980年代には、市場での資金調達が重視されるようになり、株式や社債による資金調達も一般的になりました。
さらに、企業のコーポレートガバナンスに対する考え方も変わりました。戦後の数十年間は、株主が経営に関与することは少なかったのですが、最近では株主が経営に口を出すことが当たり前になりつつあります。このような状況は、株主の権限が大きかった戦前にある程度回帰しているといえるかもしれません。
銀行主導から株主主導へ
KL: コーポレートガバナンスついて詳しく教えてください。かつては銀行主体で比較的安定的な経営環境ができていたため、株主の変動に左右されない経営判断が可能だったと思います。しかし、現在は株主主体となり、短期的な利益追求や日々の株価変動に配慮した経営が求められるようになったのではないかと思います。このような状況での経営判断のバランスについて、先生のご意見をお聞かせください。
齊藤氏:確かに、銀行中心のガバナンスが安定している一方で、株主中心のガバナンスで短期的な変動の影響を受けやすくなっているという見方は正しいと思います。ただ、私はこのような変化を単純にガバナンスの仕組みの違いだけで説明するのでは不十分だと思います。
まず、銀行中心のガバナンスが安定していた背景には、日本経済がまだキャッチアップの段階にあったという状況があります。戦前から戦後にかけて、日本企業は技術面で海外の先進国に追いつこうとしていました。例えば、アメリカのIBMやドイツの工作機械メーカーのように、分野ごとに目標となる有力企業が海外にあり、それらの企業の製品に匹敵する製品を生産できるようになることが目標でした。このような時代には、銀行と企業が安定的に取引し、長期的な視点で経営をサポートするガバナンスが有効でした。
しかし、成熟段階に入った日本経済では、状況が変わります。技術的に世界のトップ水準に達し、さらに新しい技術やビジネスモデルを開発する必要が出てきたため、リスクの高いプロジェクトへの挑戦が求められるようになりました。このような段階では、銀行中心のガバナンスではなく、市場中心のガバナンスが適していると考えられます。投資先を分散させ、そのうち一部のプロジェクトが大きな成功を収めるというような状況を想定するわけです。見込みがないことがわかったら速やかに撤退する、というようなことも重要になります。
このように、経済の発展段階の変化が、ガバナンスの仕組みを変える必要性を生じさせているのだと思います。つまり、単に銀行中心のガバナンスから株主中心のガバナンスに移行したから不安定になったのではなく、日本経済がキャッチアップ型の途上国から先進国へと進化する中で、金融システムもそれに合わせて変わるべきだった、そして実際に変わってきたのだと考えられます。
この30年間、日本経済がうまくいっていないのも、日本の企業や政策担当者がそうした変化に十分に対応できていないからでしょう。私自身も含めて多くの企業や個人が頭では理解していても、実際の行動が追いついていないと感じます。むしろ、若い世代の人たちの方が、このような変化に迅速に対応しているようです。
長期的な歴史の視点から見れば、明治期から大正期にかけては、市場中心の経済が主流で、その中から成長した企業が戦後の安定した大企業中心の経済を築きました。そこでは、銀行と企業の関係など、安定的なガバナンスも見られました。しかし、再び日本が先進国として技術面で最前線に立つと、市場中心の仕組みに戻る必要が出てきたのです。このような変化は、経済の発展段階に応じて自然に起こるものであり、人為的に作られたものではないと考えられるでしょう。
時代を超えて生き残る銘柄
KL:1930年代に存在した株式の銘柄で、現在も残っていて取引されているものについて教えていただけますか。
齊藤氏:結論から言えば、1930年代の株式銘柄はあまり残っていないと言わざるを得ません。
まず、当時の株式取引の特徴を理解する必要があるでしょう。1930年代の取引所における株式取引は、清算取引が中心でした。現在の先物取引に相当するものです。清算取引には長期清算取引と短期清算取引の2種類がありましたが、特に短期清算取引が中心でした。
売買の対象となっていたのは、東京株式取引所や大阪株式取引所でもせいぜい20~30銘柄程度で、一部の銘柄、例えば東京株式取引所新株、大阪株式取引所新株、日本産業旧株、鐘淵紡績新株などへの売買が集中していました。
中でも東京株式取引所新株の売買は、全体の半分以上を占めたほどです。しかし、戦後、取引所は株式会社組織ではなく会員組織になったため、当然ながら取引も行われなくなりました。取引所株の取引が行われなくなっただけでも、売買高でみて半分以上の銘柄が残っていないことになります。
他の銘柄も同様の状況です。例えば、鮎川義介氏が設立した日本産業は戦後に財閥解体の対象となり、(日産系の企業は残っていますが)組織自体がなくなりました。戦前は代表的な紡績会社であったカネボウ(鐘淵紡績)も、全体の10%近い売買高に達する年もあったほどでしたが、戦後の産業構造の変化や、1990年代以降のバブル崩壊後の不良債権問題の中で、企業としての姿を消していきました。現在、カネボウは化粧品などの分野でブランドとしては残っていますが、元の企業とは異なるものです。
また、企業再編により形を変えた例もあります。王子製紙が3社に分割されたり、大日本麦酒がアサヒビール(朝日麦酒)とサッポロビール(札幌麦酒)に分割されたりしました。電力会社(東京電灯など)は、戦時統制のなかで発送電部門(日本発送電)と配電部門(地域ごとの配電会社)に再編されました。この地域ごとの配電会社が戦後の電力会社の母体となっていますが、戦前の電力会社がそのまま残っていると考えるのには無理があるでしょう。
したがって、戦前に売買対象となっていた銘柄のうち現存するものは本当に少ないです。正確に計算することは難しいですが、おそらく全体の10%かせいぜい20%程度ではないでしょうか。それほど戦前と戦後の断絶が大きく、全く違う株式市場になったと考えていただければよいでしょう。
1930年代に売買対象とされており、現在でも上場されている銘柄としては以下のようなものがあります。
- 東洋紡績(現:東洋紡)
- 帝国人造絹糸(現:帝人)
- 倉敷絹織(現:クラレ)
- 東洋レーヨン(現:東レ)
- 日本毛織(現:ニッケ)
- 日本窒素肥料(現:チッソ)
- 日立製作所
- 日本郵船
- 大阪商船(現:商船三井)
ただし、合併などを踏まえ、存続・非存続を明言しづらい銘柄もあります。
これらの変化は、株式市場における変化というよりも、中心となる企業の変化というべきかもしれません。無理やりまとめれば、「一部の銘柄は連続しているが、戦時を挟んで、清算取引の廃止という取引制度の変化と、株式を発行する企業の側の変化があったため、結果的に連続性は小さい」ということになるでしょう。
株式市場の転換点 戦時経済統制
KL:では、続いて1930年代頃の株式市場に大きな影響を及ぼすような事件があれば、教えていただけますか。
齊藤氏:1930年代で株式市場に最も大きな影響を及ぼしたのは、間違いなく戦時経済統制の開始です。戦時経済統制は1930年代後半から始まり、1940年代にかけて段階的に強化されていきました。
戦時統制とは、市場経済に任せておいたのでは、戦争遂行に必要な軍需産業に資金、物資、労働力といった経営資源を集中させることができないことから、経済を統制することによりそれを実現しようとすることを意味します。金融の場合は戦時金融統制とも呼ばれます。
戦争遂行のために軍需産業、例えば航空機や船舶を生産する産業に経営資源を集中させる必要があります。しかし、市場経済に任せておいては、投資家は利回りが高い株式や、同じ利回りが期待されるのであれば低リスクの株式に投資したいと考えるのが当然であるため、高リスクな軍需産業が資金を調達しづらくなります。だからこそ、統制によって軍需生産が促進されるようにしなければならなかったのです。
株式市場に関係する主な統制としては、配当統制、株価統制、投機的取引の抑制、取引所の統合などが挙げられます。
配当統制では、企業に対して一定以上の配当が禁止されました。配当統制により、株主が高配当を求めても意味がなくなり、結果として、株主の経営への関与も後退するだろうと考えられていましたが、もちろんうまくいきませんでした。
株価を維持する必要から、戦時金融金庫などの公的機関による株式買い支えも行われました。
さらに、取引所における投機的な売買を抑制するため、1943年に短期清算取引が廃止されています。しかし、長期清算取引については廃止されず、東京と大阪の取引所に取引が集約されています。
株式取引所も改革され、全国の取引所が日本証券取引所という全国一律の組織に統合され、東京や大阪の取引所は支店のような位置づけになっています。
トータルで見れば、戦時経済統制はうまくいかなかったといえるでしょう。ある意味当然で、高リスクの軍需生産への資金集約を人為的に行うことには、多大な無理がありました。
ただ、興味深い点として、戦時の末期が近づいても取引所を開き続け、株式売買を継続していたことが挙げられます。1945年8月10日まで立会が行われ、株式市場による株価形成を市場経済の中核と捉えるかのように取引所が機能し続けた理由は、現在でもよくわかっていません。
蛇足になりますが、個人的には、株式市場が適切に機能することは平和につながるのではないかと考えています。なぜなら、株式市場が正常に機能していれば、リスクの高い軍需産業に資金が集まりにくくなるからです。
本来であれば、軍備は再生産外消耗であり、軍需産業は儲かりません。人々が裕福で、平和産業が儲かるような世の中であれば、投資家が利己的に投資を行うことは平和につながるはずです。
もちろん、これには平和産業が適切に利益を上げることができるほどに社会が豊かであることや、政府が軍需産業を不当に保護しないように民主主義が機能していることが前提となります。政府が必要以上の保護を与えることで軍需産業が「儲かる産業」にならないようにするという意味で、民主主義が健全に機能することも重要であるといえるでしょう。
株式市場の将来展望と未来への投資
KL:将来的に株式市場にどのような変化が起こると予想されるか、先生のご見解をお聞きしたいです。
齊藤氏:難しい質問ですね。しかし、これまで説明してきたように、株式市場の機能が小さくなることはないと思います。経済の発展段階によって決まってる部分があるので、株式市場は重要な役割を果たし続けると考えています。
現在の経済状況を考えると、個人投資を推奨する動きが強まっていくでしょう。NISAやiDecoなどの制度に加え、将来への不安、いわゆる「2000万円問題」のような象徴的な課題も、人々の投資意欲を高める要因になると思われ、このような傾向は今後も続くと思います。
特に若い世代が将来に備えて積極的に投資に取り組む傾向が見られます。最近では、1株単位での株式売買を可能にするような制度改定も模索されており、投資がより身近なものになっていくと予想されます。
投資は時間をかけないと効果が得られないため、時間が一番の価値といえるでしょう。今の若い人たちは若いうちから投資の仕組みが整備されているという点で、良い時代になったといえるかもしれません。
企業の側から見ても、大きな変化が起きています。政策保有株式の縮小が長く求められてきた中で、企業は新たな安定株主として個人投資家を重視するようになっています。株主優待の充実、特に長期保有者をより優遇する設定の導入は典型例です。
興味深い点として、従来「浮動株」と呼ばれていた株式の中にも、実際には安定的に保有されている部分が増えているのではないかと感じています。安定的な配当収入や株主優待などを目的に長期保有する個人投資家が増えているためです。語義矛盾はありますが、「浮動株の安定株主化」とも言える動きで、今後も継続すると考えられます。
ただし、実際に投資をしていくのは簡単なことではありません。日本人の金融リテラシーは国際的には低いとされています。単に儲かりそうな株を選ぶ能力というような表面的なことではなく、お金の問題と向き合う姿勢や、お金に関することを自分で判断するために必要な基本的な知識を身につけるための金融教育が必要になってくるでしょう。
また、金融リテラシーの高低、投資マインドの有無、投資に向けることができる資金の多寡によって、大きな格差が生じる社会になる可能性も否定できません。T.ピケティの「r>g」という指摘は、このような文脈で見ると卓見だったといえるのかもしれません。
しかし、ピケティの「格差拡大論」については、別の読み方もできると思います。全員が同じ知識を持っているわけではないので、現在の資産が少ない人でも、投資によって資産を増やすことで、格差を縮小することも十分にあり得ます。自分の能力に投資をして金融やお金の問題に関する理解を深めることで、むしろチャンスを活かして逆転していくことも可能になるはずです。
教育関係者としては、投資が格差を縮小する手段になり得る可能性を信じたいですね。投資に必要な知識を得る機会は誰にでも開かれており、適切な教育を通じて、より多くの人々が経済的自立を達成できる社会を目指すべきだと考えています。
将来のことを予測するのは難しいですが、私に言えることはこの程度だと思います。今の若い人を見ていると、平均的には大丈夫だと思いますが、個人差が大きいので一概にはいえません。これからの10年以上先の株式市場がどうなるかは、私たち一人一人の取り組み次第といえるでしょう。