Netflixの参入から約10年。日本のアニメ産業は、かつてない転換期を迎えています。配信プラットフォームがもたらした変革は、業界に新たな可能性をもたらす一方で、制作現場には大きな格差を生み出しました。一部の制作会社は潤沢な制作費を手にし、クリエイターの待遇改善や技術革新を進める一方で、従来型の企業では労働環境の改善すら進まない現実があります。
アニメ産業は、もはや国内の閉じた市場ではありません。中国系企業の台頭や海外クリエイターの参入など、競争は激化の一途をたどっています。日本は今後も「アニメ大国」としての地位を維持できるのでしょうか。
本記事では、明治学院大学の半澤誠司教授に、配信時代における業界構造の変化と、その中で生まれる新たな課題、そして未来への展望を語っていただきました。
半澤 誠司 / Seiji Hanzawa
明治学院大学 社会学部 社会学科 教授
【プロフィール】
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、博士(学術)。現在、明治学院大学社会学部教授。専門は経済地理学。コンテンツ産業やイノベーションの地理学が主要な研究関心。
主な著書として、共編著『地域分析ハンドブック-Excelによる図表づくりの道具箱』(ミネルヴァ書房、2015年)、『コンテンツ産業とイノベーション-テレビ・アニメ・ゲーム産業の集積』(勁草書房、2016年 (中小企業研究奨励賞 準賞(経済部門))、「都市に集まる創造産業」伊藤達也・小田宏信・加藤幸治編著 『経済地理学への招待』(ミネルヴァ書房、2020年)、「適正な分業体制の構築に向けて」河島伸子・生稲史彦編著『クリエイティブ・ジャパン戦略-文化産業の活性化を通して豊かな日本を創出する-』(白桃書房、2024年)。
配信プラットフォームが変えたアニメの未来
クリックアンドペイ(以下KL):はじめにアニメーション産業の現状について、過去と現在を比較すると、どのような変化があるのか教えていただきたいです。
半澤氏:過去と現在を比較した場合の最も大きな変化は、配信サービスの普及です。配信サービスやインターネットによる動画配信は技術的にはもっと以前から存在し、一部の人々に楽しまれていましたが、アニメ産業にとって決定的な意味を持つインパクトがあったのは10年ほど前からです。具体的にはNetflixなどの配信プラットフォームが一般化した時期からといえるでしょう。
配信プラットフォームは、既存のアニメ作品を配信するだけでなく、アニメ作品の制作自体にも資金投資するようになりました。アニメ制作会社側でも、配信プラットフォームでの配信を前提とした企画を立てるように変化しています。
KL:Netflixなどの配信プラットフォームが一般化される以前から、日本のアニメは世界的に人気があったのでしょうか。
半澤氏:半澤氏:人気の定義について議論の余地もありますが、配信プラットフォーム登場以前は、ごく一部の人々の間での人気に限られていました。現在でもインターネット上の記事では「日本のアニメが大人気」という話が多く出ていますが、以前より視聴者は確実に増加し、アニメファンも増えているのは事実です。ニッチからメジャーになったとの指摘もあります。ただし、本当に多くの人々に認知され、一般的なコンテンツとして定着しているかについては、国や世代による違いもあるでしょうから、まだ検討の余地があるでしょう。
ただ、配信サービス開始以前は、視聴者層は限定的でしたが、配信開始後は市場規模と視聴者数が明確に増加しています。
グローバル配信が描く業界地図の大転換
KL:配信プラットフォームの一般化は、アニメ業界が主導して進めた流れだったのでしょうか。
半澤氏:配信プラットフォームの一般化は完全に外部からの動きでした。NetflixやAmazonプライムなどの配信事業者が、技術的な発展とビジネスモデルの確立により急成長した結果、日本市場に参入してアニメ配信を始めたという流れです。
補足として重要な点は、アニメ業界は一枚岩ではないということです。アニメ制作会社にとって配信プラットフォームの参入は歓迎すべき出来事でしたが、テレビ局などの従来型のアニメ流通関係者からは歓迎する声は聞かれませんでした。
テレビ局はアニメ会社ではなく、本体はアニメーションの業界団体には属していません。しかし、アニメビジネスに大きく関与していました。配信プラットフォーム登場以前であれば、アニメビジネスでお金の出し手となる企業は数十社程度であるため、5年もあれば、それら企業の大半とは接点を持てる規模感だったという人もいます。
このような規模感の業界において、配信プラットフォームは業界外の存在でしたが、潤沢な資金力と世界への発信力を持つ新たなプレイヤーとしてアニメーション業界に参入してきたわけです。
KL:アニメ制作会社の数は昔と比べて増加していますか。
半澤氏:増加傾向にはあると考えられます。しかし、公的な統計データでの確認は困難です。国がアニメーション産業の統計を取り始めたのは2000年代後半からで、日本標準産業分類の細分類に該当するため、基本的に公開されていません。
私が1数年前に公的統計の個票を調査した際のデータでは300社弱でしたが、同時期に業界団体は400社強という数字を発表しており、把握している数に開きがありました。
ただ、1990年代と比較すると、新規参入のアニメ制作会社は増加していると思われます。業界関係者からも、特に2010年代前半から半ばにかけて、新しいアニメ制作会社の設立が目立つという声が聞かれました。少なくとも、先述の業界団体の調査では、2020年時点で800社強とされていますので、10年で2倍になったとも言えます。ただし、この業界団体による数字は2010年代以降のものしかなく、先述したように公的統計も最近のものしかないため、長期にわたる厳密な統計数値での増減は把握が難しいです。昔になればなるほど関係者の体感としての評価となります。
アニメ業界の課題 技術革新と格差
KL:大きな変化に伴う課題もあるかと思います。アニメーション産業における課題についても教えていただけますか。
半澤氏:課題は立場によって大きく異なります。現状のアニメ制作会社は、配信業者の参入により二極化が進んでいます。
配信プラットフォームと良好な関係を築き、以前より大きな制作費を受け取れる会社が出てきました。制作費の増加により、クリエイターの待遇改善が可能となり、高品質の作品を制作できる会社も現れています。ただし、このような会社は数としては少数派といえるでしょう。
一方で、このような変化に対応できない会社も多く存在します。これらの会社では、従来からの課題がむしろ悪化しているような状況です。世間で言われている「アニメ会社の労働環境が劣悪」「賃金が低い」といった課題は、この10年間の産業変化の恩恵を受けられていない会社に当てはまります。
成功している会社、世界的な知名度を持つトップ層の会社にとっての重要な課題は、労働環境の改善よりも、技術開発への対応です。
一般的な産業では、コンピューターなどの導入により生産性が向上し、より高度な製品をより安価に提供することが可能になっています。しかし、アニメーション業界では長らく人力に依存し続けてきたため、特に2000年代以降の十数年間にわたって、1枚の絵を描くための時間は増加する一方で、作品の高度化に見合う水準にまで単価は上昇しませんでした。つまり、実質的な賃金低下といえるでしょう。また、作品数の過多も課題です。会社数の増加により作品数が増加する一方で、それに見合った労働力が産業として確保できていないため、最近でこそ少し作品数が減りましたが、それが過剰な状況が続いています。
アニメーション業界でもAIの活用やCGとの融合など技術革新が急速に進み、通常の産業と同様に、生産性向上のための技術導入が一般的になっています。しかし、技術開発には資金と人材が必要で、追い風に乗れたトップ層の企業は対応を進めているですが、そうでない会社は技術開発のための資源確保が困難な状況です。
ただ、トップ層の会社にも課題はあります。トップ層の会社では技術開発に加えて、事業展開の国際化への対応も必要です。かつては数十社程度の国内企業との取引が中心でしたが、現在は配信プラットフォームを通じて世界展開が進み、海外企業との取引も日常的になっています。
また、ゲーム会社など異業種からの投資も増加し、アカデミアとの連携も重要な課題です。以前はアニメ会社と技術開発系の学術機関との関係はほとんどありませんでしたが、先端技術の利用と開発が活発化すれば、今後はIT業界のようにアカデミアやベンチャー企業との協力関係構築が課題となるでしょう。
このように異業種との関係構築や国際展開への対応が、今後のアニメーション産業の発展において重要な課題だといえるでしょう。
変わる労働環境と解消されない人材不足
KL:実質賃金は低下しているとのことですが、労働時間としては依然として改善が進まない状況なのでしょうか。
半澤氏:統計的な実態把握は困難ですが、過去10年間で状況は変化しています。大手企業では、以前のような徹夜を前提とした働き方は減少しています。大手アニメ会社に10年ほど前に就職した私のゼミの卒業生の話では、後輩たちの労働時間は自分たちの入社当時と比べて大幅に削減されているとのことです。
労働時間削減には、単なる方針変更だけでなく、仕組みの変革が必要でした。人力と根性のみに頼る体制では労働時間は際限なく増加します。人材や製品の管理をシステム化できなければ、非効率な業務プロセスにより業務が滞留しやすくなります。
大手企業では、長時間労働と低賃金が当たり前という状況は、この10年間でみると改善傾向にあります。人材育成に十分な資源を投入できる企業では、いわゆる「ブラック労働」と呼ばれるような労働環境は減少していると聞いています。
一方で、劣悪な労働環境が完全に解消されたわけではなく、一部の企業では依然として問題が残っています。アニメ業界の課題は企業の規模や状況によって大きく異なり、ここ10年間で広がった格差により一括りに語ることは難しい状況です。
KL:次に、作品数が多すぎることが課題ともおっしゃっていましたが、作品数が多いことによるデメリットとは、具体的にどのようなものなのでしょうか。
半澤氏:作品数が多いことによるデメリットというよりも、作品数が多すぎる問題の本質は、作品数に対して必要な人員が不足している点だといえるでしょう。
例えば、年間100本の作品を制作するとしたら、そのために必要な労働力が不足しているにも関わらず、企画が承認され、制作が開始されてしまいます。このような状況を問題視しています。
ただし、作品数を100本から50本に減らしたとしても、1人あたりの報酬が2倍になるという単純な構図ではありません。業界関係者の間でも見解が分かれており、作品数削減で報酬が改善されるという意見がある一方で、それは期待できないという意見もあります。
テクノロジーと人材不足で岐路に立つ日本のアニメ
KL:なるほど、様々な問題も見受けられる状況ですね。では、アニメーション産業の将来はどのようになっていくのでしょうか。
半澤氏:市場は確実に拡大していくと考えられますが、現在の会社の大多数が市場拡大の恩恵を受けられるかは不透明だといえるでしょう。市場拡大に対応できず、退出する企業が存在するのは、どの業界でも同様です。現状でも市場拡大の恩恵を十分に受けていない企業が多く、将来的にもこのような状況は継続する可能性があります。
アニメ業界に関わる会社は、国籍、業種、アカデミアとビジネスの関係など、様々な面で多様化しています。業界の生態系は複雑化しており、明確な構造を描くことは困難です。2000年頃までの業界構造は比較的シンプルに説明できましたが、現在は変革期が20年以上続いており、新しい構造が確立されていません。
また、注目すべき変化として、中国系のコンテンツ企業からの投資が増加しているという点です。中国企業は日本のアニメ会社やクリエイターに対して好待遇を提示しており、新規に独立しようとするアニメ会社にとっては、優秀なクリエイターの確保が困難な状況となっています。
このように、現在は日本中心の視点だけでは不十分になっています。海外企業への日本人クリエイターの移籍は一般的になり、海外のクリエイターも日本アニメ産業の技術や表現技法を吸収して発展していっています。日本のアニメ産業が技術力、表現力、人気、商業的成功の面でトップの地位を維持できるかは不透明ですが、まだ発展の可能性は残されています。
KL:現在のアニメ業界の人員の不足という点に関して、AIの技術発展により、将来的に労働力が不要になるような状況は考えられますか。
半澤氏:アニメ業界に限らない話になりますが、私見としてAIを含む機械化や自動化は、必ずしも人間の労働からの解放にはつながらないと考えています。産業革命以降、技術進歩により多くの労働が効率化されましたが、新たな欲求や需要が生まれ、新しい仕事が創出され続けています。
例えば、かつては水運びが1日がかりの仕事でしたが、現在は蛇口をひねれば水が出ます。また、何十年も年前には図表作成の専門職が企業内にいることが珍しくありませんでしたが、現在は一般の社員が自身でPCを用いて作成するのが普通になっています。しかし、世の中から人間のやるべき仕事が明確に減ったとはいえません。
生活水準をある時点での水準に固定できれば、技術進歩に伴って労働時間は短縮できるかもしれませんが、現実には新しい技術が生まれると、人々はより良い生活や体験を求め、そのために働く必要が生じています。資本主義社会の価値観が一般的である限り、AIによって特定の仕事が無くなっても、新たな要求に対応するための仕事が生まれ続けると考えられます。
シンギュラリティ(人工知能が人間の知能を超える技術的特異点)が起きて、人間とは別個の知性が社会を形成する可能性も指摘されていますが、この点については語れるだけの専門的知識が私にはありませんので、ここでは生産性を向上させる道具としてのAIの議論に限定してお話ししています。このような観点からは、AIは過去の技術革新と同様のパターンをたどる可能性が高いと考えています。
新時代のアニメビジネスの成功条件とは?
KL:なるほど、資本主義社会の価値観が継続する限り、過去と同様のパターンが考えられるとのことですね。日本アニメの評価についてはどうでしょう。日本のアニメは世界から高い評価を得ていますが、今後もその評価は維持されていくと考えられますか。
半澤氏:世界の動向や市場変化に現在のトップ層のアニメ会社が対応し続けられれば、高い評価は維持できると考えられます。ただし、アニメは必ずしも日本独自のものではなくなっていく可能性があります。
クラシック音楽を例にすると、発祥地はヨーロッパですが、現在は世界中の音楽家が活躍しています。アニメも同様に、日本が「本場」として一定の地位を保ちながら、グローバルな展開を見せる可能性があります。
文化的な要素は技術と異なり、地域の風土や社会構造と密接に結びついています。例えば、液晶ディスプレイや半導体は、その技術の発祥地であるアメリカよりも、東アジアで多くが生産されています。一方で文化的要素の場合は、発祥地では存在が希薄化し、他国では盛んになるような例はまずありません。このように、文化的要素は移転しにくい特徴があります。文化には「本場」という意識が残りやすく、技術以外の要素で日本が「本場」としての地位を存続させていく可能性は十分にあると考えられます。
KL:最後の質問になりますが、この記事の読者には企業家志望の学生が多いため、企業家志望の学生に向けたアドバイスをお願いできますか。
半澤氏:アニメ産業は現在、新しい姿に向けた変革期にあります。海外展開や技術導入など、若い世代が新しい道を切り開ける機会が多い時期だと考えています。
ただし、アニメ業界は元々多くの人が知り合いであるような限られた関係者で構成される狭い世界でした。現在も内部の人間関係で動いている部分が大きく、業界のルールや人付き合いを理解せずに参入しても成功は難しいでしょう。シリコンバレーでさえ、中核となる人々の狭いネットワークへのアクセスが重要とされていますし、コミュニティが重要な業界では、どこでもそのような性格なのではないでしょうか。
例えば、アニメ業界のプロデューサーは、ゲーム業界と比べてキャリアの開始が遅い傾向にあります。その理由は、人間関係の構築に時間がかかるからです。Netflixが日本のアニメ業界に参入する際も、業界経験者を雇用した上で、その経験者を窓口として参入しています。
1990年代にも「新世紀エヴァンゲリオン」の成功でアニメブームが起き、外部の投資家が参入してきた時期もありました。しかし、その多くは成功せずに撤退しています。現在も外部からの参入に対してアニメ業界は慎重な姿勢を示しています。
したがって、新しいアイデアや活力は必要ですが、業界の内部論理にも配慮が必要です。企業家としての独創性やバイタリティを活かしつつ、業界との関係構築にも時間をかけ、腰を据えて取り組む姿勢が重要になるでしょう。単なるアイデアだけでは通用しない業界であることをまずは理解していただけると良いかと思います。