月経痛や生理に伴う体調不良は、多くの女性が抱えている悩みです。
しかし、女性が身体の不調を訴えても男性にはどれだけの負担なのかが伝わりづらく、心ない言葉をかけられてしまうことも少なくありません。女性同士であっても、人によって症状に差があることもあり、月経痛体験システムはそういった感覚の差異の距離を縮める発明といえます。
それだけでなく、月経痛体験システムは「経験」という要素から、新たなビジネスチャンスを生み出すものにもなっています。そこで今回は、奈良女子大学の佐藤准教授に、月経痛体験システム開発の経緯から実際の機能、体験会での様子までお話を伺いました。
佐藤 克成 / Katsunari Sato
奈良女子大学 研究員工学系工学領域 准教授
【プロフィール】
1983年山形県出身。
2011年東京大学大学院情報理工学系研究科修了、博士(情報理工学)。
同年より学術振興会特別研究員(PD)。
2013年より奈良女子大学講師、2021年より同准教授。
2020年より大阪ヒートクール株式会社の取締役を兼業。
バーチャルリアリティやロボティクスの分野において、温度感覚を中心とした触覚情報の記録と再生技術の研究開発に従事。
月経痛体験システムは「女性的な観点」への意識から生まれた
クリックアンドペイ(以下KL):それでは初めに、月経痛体験システムの仕組みについて教えていただけますか?
佐藤氏:月経痛体験システムでは、腹筋をEMSと呼ばれる電気刺激で収縮させることで月経痛を再現しています。
EMSというのは腹筋を鍛える器具であったり、整骨院や整形外科で使われている低周波治療器と同じ仕組みですね。月経痛、特に腹部の痛みが生じるメカニズムとしては、簡単にいうと子宮の周りの筋肉が急激に収縮することです。ただし、子宮の周りの筋肉は比較的深い方にあって、電気刺激で収縮させることはなかなか難しいので、体験システムで収縮させているのは皮膚の表面から浅い部分にある腹筋になります。こういった手法を取ることで、女性だけでなく男性にも月経痛に近しい感覚を追体験していただけるようになっています。
KL:月経痛体験システムが開発されるに至った経緯は、どのようなものだったのでしょうか?
佐藤氏:もともとは、私の研究室に修士で在籍していた女子学生が、大学生の時に甲南大学で開発を始めたものです。
バーチャルリアリティの学生コンテストに応募する作品として、その女子学生が同じ研究室の男子学生らと協力して作り上げました。最初のきっかけは、コンテストに応募する際に審査員から「女性的な観点からのバーチャルリアリティのシステムを考えて欲しい」というアドバイスをもらったことだったそうです。そして、女性らしい観点とは何だろうか、と考えた時に思いついたのが月経痛だったと。
ただ、月経痛に関するシステムを開発しようと思った時につまづいたのが、「どうすれば月経痛を再現したことになるのかがわからない」ということだったんですね。その女子学生自身、月経痛を普段から体験していても、自分が感じている痛みがほかの人とも同じなのかどうかはわからなかったんです。友達にしても、自分以上に苦しんでいるように見える子もいれば、そんなに苦しくなさそうな子もいる。そこで、女性が感じる月経痛の個人差が、実は非常に大きいものなんじゃないか、という気づきを得たわけです。
そして、女子学生は月経痛が女性間でのコミュニケーションを阻害している可能性にも思い至りました。症状が軽い人が重い人に対して、「月経痛くらいで何で休むの」と言ってしまったりとか、症状の違いによって相手のことを十分に理解できない可能性がある、と。だからこそ、月経痛について女性間でもどんな症状があるか知るためのひとつのきっかけとして、月経痛体験システムを作る意義があるんじゃないか、と考えたんですね。その時はあくまでも体験システムということで、あまり研究という観点ではなかったんですが、実際に作っていろいろな人に体験してもらうと、確かに女性によって感じ方が全然違った。そこで、自分たちが作ったものが現状どこまで月経痛の腹部の痛みを再現できているんだろうか、という部分に興味を持って、私の研究室に進学した際にもっと突き詰めて研究していこう、と決めたそうです。
「経験したことのない」体験の提供で新たな気づきを与える
KL:研究開発を終えて、月経痛体験システムを活用した体験会を開くようになったのですね。
佐藤氏:研究が一通り終わって国際会議など学会に発表したところ、新聞社やネットメディアから取材を受けて、一般に広く知られるようになりました。そして、その記事を見た企業の方から、社内研修に使わせてもらえないか、という依頼を受けたんです。
ちょうど女性の福利厚生であったり、職場環境改善の試みを行っている中で、月経痛体験システムを使いたいという内容でした。それから、いくつかの企業研修の中で体験会を実施し、現在は私がお手伝いをしている大学発ベンチャーの企業、大阪ヒートクール株式会社で事業化していただいています。最近では、企業向け研修を株式会社リンケージに業務委託し、より多くの希望者に体験を提供できる体制を整えています。
KL:体験会や研修では、男性からの声も上がってくるのでしょうか?
佐藤氏:男性からいただく声は、「これまで経験したことのない痛みだ」という感想が大多数ですね。
私も実際にやってみましたが、もう本当に、内側から締めつけられるような感じでした。電気刺激的な、ぶるぶるした感覚もあるにはあるんですが、それ以上に内側からぎゅっと絞られるような痛みは経験したことがなくて。こんなに痛くて、何もできなくなるんだと。人によっては「こんなにつらいと思わなかった」とか、「暴力的な痛み」と表現する方もいました。あと、次に多かったのは、「この痛みの中で普段生活している女性ってすごい」といったことでしたね。女性の中には 、月経のたびに我慢して生活していらっしゃる方も多いと思いますが、あまり表に出さずに生活できているってすごいなとか、もし今後つらそうにしていたら何らかの形で気遣ってあげたいと思ったとか、そういった感想も結構いただきました。
一方で、女性からも「自分は症状が軽いが、重い人はこんな感じだったのか」といった感想であったり、自分の月経痛の度合いが重いのか軽いのかの判断基準になって良かった、という声もありましたね。月経痛は通常、人と比べることができないので、体験システムを通して人よりも重いとわかったら今度産婦人科に行ってみようかな、と考えてもらうきっかけにもできるなと思いました。
KL:月経痛体験システムの痛みの度合いとしては、どういった調整をされているのでしょうか?
佐藤氏:基準となっているのは、開発者である女子学生と、同じ研究室だったもう1人の女子学生の2人の痛みの感じ方です。
その基準で実験をしてみたところ、普段の月経痛が重くて基準の刺激では全く痛くないという方もいれば、普段はほとんど痛みを感じていなくて、逆に体験システムだと痛すぎて耐えられない、という方もいました。かなり幅広い結果が出たんですが、およそ半数の学生は自分の普段の痛みの強度と似ている、と回答しています。なので、少なくとも実験した限りにおいては、多数の学生の痛み方に近い強度で再現はできているのではないでしょうか。
KL:これまでに、月経痛体験システムを使った体験で体調が悪くなった、といった事例はあったのでしょうか?
佐藤氏:安全面には留意して実施しているため、そのような事例はありません。ただし一度、寝不足で体調が万全ではない方が体験されたところ、体験後に気分が悪化した、という事例はありました。
このケースに関してはEMS全般の問題で、腹筋を鍛えるような器具であっても体調不良や寝不足の時には使用を控えるよう注意書きが入っています。こちらとしては何らかの疾患を抱えている方や、ペースメーカーを利用中の方、妊娠中の方などは体験を控えていただくように案内しています。また、体験したいという場合にはあらかじめ同意をいただいています。体験後に体調不良などがあればできるだけの対処は行うようにしていますが、月経痛体験システムが原因で体調が悪くなった方は、これまでには耳にしていません。
技術面だけでなく開発理由に対する誤解や反発も課題のひとつ
KL:月経痛体験システムが現状、抱えている問題点についても教えていただけますか?
佐藤氏:技術的な問題点としては、やはり電気刺激そのものに慣れてしまうケースがあることです。
また、電気的なぶるぶる感や、ピリピリした感じが気になりやすい方の場合は特に、純粋な筋肉の収縮感だけを感じられず月経痛全体のリアリティとして再現度が足りない、という課題もあります。
それと、月経に関連する症状で最も多くの人が悩んでいるのは腹部の痛みだという調査結果があるんですが、月経時に生じる不調にはほかにも様々なものがあります。腰痛や頭痛、身体が重くなる、ムカムカ・イライラする、気分が悪くなるなど、様々な症状がある中で、腹部の痛みしか再現できていないあたりは技術的に課題を感じるところです。なので、全体的な再現度を向上させるために、例えば腰痛であれば同じ仕組みでなんとか再現できないかとか、電気刺激だけではなく温度刺激で身体を冷やすとどうか、と試行錯誤しています。
また、技術的な面ではなく、月経痛体験システムや研修事業そのものに対する誤解が生じやすいことも課題として感じています。取材などで注目を集めることができたのは良かったんですが、女子学生が開発したという部分ばかりがフォーカスされてしまって、実際の研究開発には男性もたくさん携わっているのに、「女性が自分の痛みを男性に体験させるために作った」みたいな言われ方を結構されたんですよ。あと、あくまでも同意書にサインをいただいた方にだけ自発的に体験してもらっているんですが、強制的な体験だと誤解されて「拷問じゃないか」という声まであったり。こちらのスタンスとしては、男女関係なく月経への理解を深めたいと思っている方にのみ、知識を補う手段のひとつとして提供しているのですが、「男性を苦しめるためのシステム」という間違った捉えられ方をしてしまうことが非常に多いです。
KL:女性の月経に対して、男性の理解が追いついていないことも影響していそうですね。
佐藤氏:そうですね。私自身、月経痛体験システムを開発した女子学生が研究したいと言い始めて、あらためて学ぶことが多かったです。
驚いたのは、高校生が何度か学校の課題で取材させて欲しいと体験に来て、お話をしたときのことです。私の中のイメージでは、年配の方になるほど女性の月経の話をすることに対して否定的で、若い人はある程度きちんと教育が行き届いていて肯定的なのかな、と思っていました。ですがその高校生が言うには、女性の生理をテーマに扱おうと思ったら、男子学生から「そんなのやらなくていいよ」などと言われたらしくて。今の現役高校生でもまだまだ理解度が低いんだな、とすごくショックを受けた覚えがあります。
そういった経験も踏まえて、研修の際には体験会だけを実施するのではなく、そもそも女性の月経ではどのような症状が出るのか、腹痛に限らず対処法まで説明した後に体験していただく流れを取っています。また、体験会の後も人が誰にも言えずに抱えている悩みについて、会社としてどんな対処ができるかを考えてもらうためのワークショップも開催し、体験会が一過性のものにならないよう工夫しています。その甲斐あってか、研修後には、男女間の会話は自然と生まれていますね。「めちゃくちゃ痛かったんだけど、本当にこんな感じなの」とか、それに対して女性社員から「私の場合はお腹はここまでじゃないけど、同じかそれ以上に腰が痛くて」とか。そういった会話をこれまでしたことがなかった、という声が大多数です。そういう意味では、たった一度の体験であってもそれをきっかけにして男女間で話し合う機会が得られるし、その後も話しやすい環境になって男性の理解も深まっていくのではないかな、と感じています。
アイデアを形にすることには様々な可能性が秘められている
KL:月経痛体験システムの今後の展望についても、教えていただけますか?
佐藤氏:私の研究としては、身体に温度などの触覚刺激を感じさせるウェアラブルデバイスを作ることが中心なので、そういったもので月経にまつわる症状を和らげられないか、研究開発を検討しています。
また、日本では電気刺激を活用して月経の痛みを緩和する器具の販売が最近開始されたところなんですが、月経痛体験システムはこうした月経関連の治療のために研究開発をしている方々からすごく歓迎されたんですよね。痛み止めの薬などを作っても、マーケティングの担当者は男性が多いらしくて、「そんな製品必要ない」「うちでは扱いません」と言われてしまうらしくて。ですが、そういう時に月経痛体験システムがあれば、痛み止めの薬を扱う重要度がわかってもらえると。そうやって、「こんなに苦しいならもっと対処しないとだめだな」と認識してもらうだけでも、研究開発がもっと進んでいくだろうなと期待しています。
また今後、再現できる症状のバリエーションが増えていけば、診断にも使えるのではないかなと考えています。体験システムが再現した症状の中で、あなたの症状はどれに一番近いですか、というような聞き方をしていくことで、この人はこういう症状のパターンだと可視化できると思うんです。そして、可視化ができれば症状の度合いが人によって全然違うことも具体的に説明できるようになっていくので、誤った認識を持たれることも減るのではないかなと。
KL:貴重なお話、ありがとうございます。最後に、読者の方に向けてメッセージをお願いします。
佐藤氏:先ほどお話しした、体験から必要性をわかってもらえるということは、月経痛体験システムを企業研修として事業化してみて初めてわかった側面です。
問題の重要性を理解してもらうことが、結果的には問題の直接的な解決につながっていく。よく、「追体験するものを作るよりも、痛みを直接解決するものを作るべきだ」という意見もあるのですが、実はその問題の解決策を考えるには「体験する」ことが近道になりえるんです。このように、自分たちが考えていることを実現して、実際に体験してもらうことで、それまでは考えもしていなかった側面から様々な価値を認めてもらえるケースもあります。なので、何かアイデアがあったらまずは誰かに話してみて、思い切って実行することがすごく大事かなと思います。
ビジネスとして考えるなら、研修事業そのものはマーケットの規模としてそんなに大きくないかもしれません。ただ、昨今はコンプライアンスなどが厳しくなってきていて、企業の役員の方々から一般社員の方々まで、時代の変化に合わせて考え方をアップデートしなければならない部分がある。とはいえ専門の方が来て話すだけでは目新しさがないので、実際に体験しながら学べる、というところにフォーカスするのは価値があるのではないでしょうか。