近年、キャリア教育に対する注目度は以前よりもますます高まってきています。
しかし、キャリア教育という言葉は耳にしたことがあっても、具体的に何を目的とした取り組みなのか、一体どんなことをするのかまではわからない、という方も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、法政大学の田澤教授にキャリア教育とはどのようなものなのか、キャリア教育によって何を学ぶことができるのか、お話を伺いました。
田澤 実 / minoru tazawa
法政大学 キャリアデザイン学部 教授
【プロフィール】
2001年 中央大学文学部教育学科心理学コース 卒業
2003年 中央大学大学院文学研究科心理学専攻修士課程 修了
2007年 中央大学大学院文学研究科心理学専攻博士後期課程 単位取得退学
2010年 中央大学大学院文学研究科より博士号(心理学)取得(博士論文タイトル『大学生のキャリア発達の心理学的研究』)
2007年 法政大学キャリアデザイン学部 助教。専任講師、准教授を経て、2020年より教授
キャリア教育は就職や転職のみを焦点としたものではない
クリックアンドペイ(以下KL):まず初めに、「キャリア教育」とは何か教えていただけますか?
田澤氏:文部科学省の定義をもとに答えるなら、『人が生涯の中で様々な役割を果たす過程で、自らの役割の価値や自分との関係を見いだしていく連なりや積み重ねがキャリアであり、一人一人の社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して、キャリア発達を促す教育』となります。
ただ、最初にお伝えしておきたいのは、キャリア教育は単に就職だけを目的としたものではない、ということです。もちろん、皆さんが「キャリア」と聞いて真っ先にイメージするのは、まず就職できるかどうか、そしてその後転職するかどうか、といったことだと思います。これは職業キャリアと呼ばれることがあります。ただ「キャリア教育」におけるキャリアには、家庭や余暇や地域社会のことも含まれています。これはライフキャリアと呼ばれることがあります。キャリア教育のキャリアとはこの二つを含めています。
また、人生という長いスパンで物事を考えた上で、変化に対してキャリアデザインの再調整や目標修正を行えるようになることも、キャリア教育の目的のひとつなんです。
KL:キャリアデザインの再調整や目標修正とは、どういったことなのでしょうか?
田澤氏:新規大卒就職者の3割は就職後3年以内に離職しています。このトレンドは今に始まったことではなくしばらく続いています。また、もし同じ企業に勤め続けたとしても部署異動などがあるかもしれません。ここで考えていただきたいのは、同じ職場で働き続けるにしても、転職するにしても、思い描いていた通りの未来にはならない可能性もある、ということです。
もし周囲の環境がずっと同じだったとしても、仕事をしていく中では、それこそ自分自身が関心を持つ事柄が変わったり、働き続ける中で停滞感が出てきたり、仕事の内容によっては飽きてしまったりすることも有り得ます。自分の中で何に興味を持つか、何を重視するか、どこにどれだけのエネルギーを割くかの考え方は必ずしもずっと同じではありません。これは仕事に限った話ではなくて、家庭を持って子どもができて、といった人生の長いスパンでも経験する可能性のある変化なんです。
ひょっとしたら、キャリア教育には、「目標を定めたらその通りにならなければ負け」、みたいなイメージがもたれているかもしれません。勘違いされがちなんですが、キャリア教育において、自分が立てた将来設計や目標に届かなければ駄目、なんてことは全然ないんです。希望通りの将来にならなかった時こそ、希望や目標に到達するためのキャリアデザインの再調整や目標修正が必要になります。
「なれなかったらどうしよう」「将来のことなんてわからない」「うまくいかなかった時のことを考えたくない」という気持ちは至極自然なものですし、将来の計画を立てることが怖いのもわかります。ただ、「成功する人間は選ばれたひと握りの人だけだから、将来のことなんて考えても意味がない」なんてことは絶対にありません。成功した人がそこへ至るまでには、自分が成すこと、目標への意味付けと、いくつもの調整があったはずなんです。なので、まずはざっくりとでいいので計画を立てたり、仮説を立てたりしてみる。これはその通りに遵守しろという意味ではなくて、計画がなければ修正もできないし、仮説を立てなければ振り返ることもできないからです。何か将来設計と違った出来事が起きたら、その都度再調整したり、目標修正をしていけばいい。キャリア教育の概念として、まずここを押さえておいていただけると、またイメージも変わってくるのではないかな、と思います。
キャリア教育の根底は勤労観や職業観を育むことにある
KL:確かに、キャリア教育と聞くと就職のためのもの、という印象も強かったので今お話ししていただいた内容は目から鱗でした。実際の現場では、キャリア教育としてどのような取り組みをされているのでしょうか?
田澤氏:キャリア教育は学校や地域によって取り組み方は様々です。なぜ幅広くなっているかをお話しするために、ここでキャリア教育の歴史について説明させてください。
キャリア教育が実際に広がり始めたのは2004年頃です。20年前に小・中・高から大くらいまでだった人であればキャリア教育を受けている可能性があります。ただ、受けていても本人には記憶や自覚がなかったり、キャリア教育とは何か、よくわからない方も多いのではないかと思います。その理由として、当初は学校側でもキャリア教育として何をすればいいかわからないことがあったと思います。
そもそも、キャリア教育が普及するひとつのきっかけになったのは、2004年に出た「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議報告書」でした。概要としては、一人ひとりのキャリア発達や子どもの自立を促す視点から、従来の教育の在り方を幅広く見直し、改革していくための理念と方向性を示すといった内容です。社会的・職業的な自立に向けて必要となる基盤の能力や態度を育てる、つまり社会で活躍するために必要な能力を育もう、ということですね。勤労観や職業観というと仕事のイメージも強いかもしれませんが、例えば学校でも日直などの役割をこなしながら集団生活をして、クラスのために役割を担う中で勤労観を掴めるようにする、ということです。
ただ、この時示されたのはあくまでも理念と方向性であり、かなり大きなものを指していただけだったので、具体的に何をすればいいかは明示されていませんでした。
さきほどの報告書には「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」という参考資料があり、これに小・中・高などそれぞれの学校で、どんな能力をどうやって伸ばせばいいかの事例が示されました。ただ問題は、この資料の内容に書かれたことばかりが流行ったことです。いつ、どのタイミングで何をやればいいのかという時に、書いてあることだけやればいい、みたいに広まってしまった。あくまでもひとつの例だったはずなのに、学校教育の現場ではこれをやらなければいけない、のように固定的に捉えられてしまったんです。
KL:本来は今後の教育の方向性を示すものとして提示されたはずが、想定よりもはるかに狭義に捉えられてしまったのですね。
田澤氏:そうなんです。そういった経緯もあって、今のキャリア教育は2011年に新たに出された「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」という報告書に沿って、人間関係形成などの社会形成能力、自己理解・自己管理能力、課題対応能力、キャリアプランニング能力のような4つの能力を伸ばしていくことに焦点を当てる内容になっています。
なお、近年の学習指導要領の改定では、「児童が学ぶことと自己の将来のつながりを見通しながら、社会的職業的自立に向けて必要な能力を身に付けることができるよう、各教科の特質に応じてキャリア教育の充実を図る」という内容が組み込まれました。学習指導要領にもキャリア教育の内容が入るようになってきたので、昔ほどキャリア教育とは何かと説明を求められる機会は減ってきたという印象があります。
重要なのは学びが将来につながる見通しを持てるかどうか
KL:なるほど。ただ、学習指導要領の内容からは、これまでの学校教育と大きな違いは感じられないような気もしてしまいます。
田澤氏:はい。ここで重要なのは、子どもたちが今学んでいることが、いかにして将来につながっていくのか。その見通しを持てるようにすることが、キャリア教育の性質だということです。
先ほどもお話ししたように、キャリア教育は各教科の特質に応じて充実を図り、学校で勤労観や職業観を学ぶことが含まれていました。そうするとやはり、今ご指摘いただいたように「だったらこれまでの教育でもいいじゃないか」という意見も出てくる。ただ、将来につなげるということを考えると、既存の学校教育では限界があるんです。
理系科目なんかは中学校や高校で学んだことを大学でもっと専門的に学べる、と具体的な見通しが立ちますが、文系だとどうでしょう。大学の文系科目って、経済学系も社会学系も、心理学系も、高校まであまり馴染みのない学問ばかりで、探究的な活動を深めていっても大学ではつながりにくいんです。ビジネスで起業したいとか、もうすでに将来の方向性が定まっている人なら経営学部に行こう、など決められますが、将来が定まらない学生さんはやはり一定数います。私の所属するキャリアデザイン学部は専攻を決めるのが2年生からなのですが、そのニーズが意外にも高いようです。
だからこそ、学生が今、学校で学んでいることの意味がわからなくても、実はその学びが将来自分が生活する上で社会と関わる時に何か役立つことがあると知ってもらう機会を与えることが重要です。まだ具体的に何に役立つかはわからなくても「学び続けてもいいかな」と思えるように、現在を大切にしつつ将来も見通しながら進めていく。その機会を与えるものがキャリア教育であり、将来とのつながりを意識することがポイントになります。
KL:すると、大学では専門分野の垣根を超えたようなキャリア教育が主流になっているのでしょうか?
田澤氏:そのあたりは、あえて曖昧に扱っている部分がありますね。
先ほど少し触れたように、改訂された学習指導要領には「各教科の特質に応じてキャリア教育の充実を図る」という文言が入っています。また、2011年の大学設置基準の改正では、「当該大学および学部等の教育上の目的に応じ」という文言が入れられました。これは、言い換えれば大学や学部の専門性によってキャリア教育の内容は変わる、ということなんです。最近でいえば生成AIの登場のように、社会が大きな変化に見舞われると、特定の職業にのみ特化した内容にしていた時にキャリア教育が意味を成さなくなってしまいます。
なので、社会的・職業的自立を図るために必要な能力を広く学べるようにしておく必要があるわけです。文科省の調査によると、今では98%の大学がキャリア教育を実施しています。内容としては勤労観や職業観を育むもののほかに、将来について考えようというものが80%ほどあって、中には、キャリア教育の主旨とは少しずれてしまうんですが就職対策を目的とした授業も実施されています。キャリア教育がイコール就職教育か、という点についてはずっと議論されていますが、もっと先のことを見据えるにしても、就職は将来に向けたファーストステップには違いないので、無駄になることはありません。学校や地域ごとの特徴なども活用しながら、職業的・社会的自立を図るために必要な能力を幅広く培うための体制作りが各大学で進んでいる状況です。
「問い」を立てる習慣がこれからの人生を支える経験になる
KL:ありがとうございます。キャリア教育の概要について詳しく説明していただいたおかげで、かなり理解が深まりました。
キャリア教育では、これからの人生にも非常に役立つ知識や考え方を身につけることができそうですが、学生さんがさらに自分を磨こうと思った時、日々の生活の中で取り組めることがあれば教えてください。
田澤氏:私からおすすめしたいのは、「問い」を立てる習慣を身につけることです。
先ほどお話ししたように、長い人生の中では就職したり、転職したり、あるいは家庭を持ったりと様々な変化が待っています。こういった状況を考えると、働いてみなければわからないじゃないか、で終わってしまうかもしれません。しかしだからこそ、学生のうちから「問い」を立てる習慣を身につけておいて欲しいと思います。大学を卒業して社会に出たら、もうテキストはないし、いつでも何かしらの正解があるわけでもありません。むしろ、正解のない事柄に向き合わなければならない機会の方が多くなるでしょう。周りの人や上司に相談できることもありますが、自分1人で解決しなければならないタイミングもいずれ訪れます。
特に、問いを立てる習慣は大学生こそやりやすいので、ぜひ実践してほしいです。日頃の授業の感想を書くことも、問いを立てる習慣に役立ちます。「今日の授業で聞いた〇〇は、××と似ていると思いました」のように類似性を見出すことも、問いを立てる訓練になるでしょう。問いを立てるというのは、卒業論文で先行研究を調べて仮説を立て、データ収集をして結果と考察をまとめることだけではないのです。
いろいろと調べていくうちに自分が思っていたこととは違うものが見えてくるかもしれないし、興味を持って様々なことに取り組むうちに、自分事として考える癖が身につきます。企業で働くことになってからも、ただ言われたことだけをやるのでは、働き続けることに困難を感じるときがくるかもしれません。ですが、常日頃からこれとこれが似ているな、など問いの姿勢を持ち続けることで自分事に考えられることが増えていくと思います。
学習が個人的な活動ならば、既存の知識を獲得すれば学習は終わりとなります。ただ、これは誰かが正解を知っている事柄の学習です。しかし、学習が社会的な活動ならば、個人にとっても社会にとっても新しいものを獲得するという創造的な側面を含むと思います。特に起業家の人たちにはこちらのほうがなじみがあるかもしれませんね。
活動理論で有名なエンゲストロームは、新たなものが生み出される原動力には、(社会的なものにより媒介されることで生じる様々な)「矛盾」があることを示しました。学習とは葛藤を生むものであるという見方です。そして、矛盾は、ネガティブな影響を与えるばかりではなく、ポジティブな影響も与えることがあります。
葛藤や矛盾を含むことが学習であるならば、問題解決という営みには終わりがないことになります。その場合、学習の効果は「問われることに答えられること」だけではなく、むしろ「問うこと」の質で捉えることが大事になるのではないでしょうか。
これで正しいんだろうか、と何度も問いを立てて答え合わせをするような葛藤がつきまとう。その訓練のためにも、問いを立てる習慣は大事になってくるんじゃないかなと思います。
KL:認知の仕方を変えると、新たな発見があるほかにも、それまでの固定観念から抜け出せることもありますね。
田澤氏:そうですね。そういった意味では、キャリア発達に欠かせない「適応」という能力も問いを立てることで育まれると思います。
キャリア発達にはいろいろな定義がありますが、大学のキャリア教育でもよく行われているのは「選択」に注目するものだと思います。例えばインターンシップだったり、社会人による講演だったり、職業体験もそうです。選択肢を検討するための材料を学生に与えている側面があるといえます。
ただ、選択の後には、やってみたら駄目だったとか、仕事の環境にうまく馴染めなかったということも起こり得るので、「適応」が重要になってくるんです。あまりにブラックな職場ならむしろ適応せずにすぐやめた方がいいですが、どこかのタイミングでは腰を据えてやらなければいけない時がやってくると思います。その時に備えて、常日頃から物事を自分事として捉えておくと、働くことへの意味づけにもつながってきます。働くことの意味づけというのは、他人に言われたからといって、なかなか簡単に納得できるものではありませんよね。なので、問いを立てる経験を通して、自分が今どんな状況にいて、何を目指したいのか、何に失敗してきて何が好きだったか、何が嫌いではなかった、と感じることを大きい次元で振り返る。そうやって自分自身のことに関心を持ち、自分の勤める会社に関心を持ち、さらに社会のことに関心を持つ。そうした経験を経て働くことを自分事として捉え、意味づけをする機会を持つことは、激動の現代社会ではやはり大事なことだと思います。
KL:貴重なお話、ありがとうございます。最後に読者の方へ向けて、メッセージをお願いできますか?
田澤氏:今、キャリア教育を受けている方々には、あくまでも考えるのはみなさん自身だと受け取って欲しい、と思っています。
キャリア教育は一元的な考えを押しつけるものではなく、内発的動機づけによってキャリアの自立性の形成を促す側面もあると思います。自立性とは、言われたからやる、ではなくいくつかの選択肢が示された中で「これをやってみよう」という意味での主体性であり、選択の理由を自分なりに説明できることが含まれるのではないでしょうか。キャリア教育を通じて問う習慣も身につけ、自分自身を見つめ直す機会を設けて、多くの物事に関心を持って将来を見据えてみてください。
人間は、あまりにも先が見えすぎると「そうならなかったらどうしよう」という恐怖もあるので、中には「将来のことなんか考えたくない」という人もいるでしょう。ですが、あまり難しく考える必要はありませんし、失敗しても構いません。大切なのは、問いを立てて得た学びを振り返り、働く時点だけではなく、過去・現在・未来のつながりを常に再構築し続けることです。最初は起業家に興味があって、自分も起業家になろうと思っていたけれど、まずは就職して修行してみようかなとか。あるいは、起業家になって自由に働こうと思っていたのにうまくいかなくて当初の希望ではない職に就いて、自分は何をしているんだろうとか。そうやって考えた時に、過去を振り返ってから未来を構想することにより、実はこれがしたかったんだな、とかこれが好きだったな、とかいろいろな発見があると思います。もともと希望していたものが駄目だったけれど、そうじゃない、もっとほかのことが好きな自分もいたんだと振り返ることで新たな意味づけが見つかるかもしれません。この場合、「変化した」というと自分の思うようにはならなかったという印象が強くなるかもしれませんが、状況に合わせて「訂正した」という方がもともとの自分も維持しているイメージがつきやすいかもしれませんね。
ぜひ一度、自分の将来について長いスパンで捉えて、多様な可能性に思いを巡らせてみて考えてみてください。