プロスペクト理論への理解を深めることは自身をお金のリスクから守ることにつながる

プロスペクト理論への理解を深めることは自身をお金のリスクから守ることにつながる

行動経済学のプロスペクト理論では、人が利益に比べて損失に強く目を向けることなどが示されています。

損失は誰しも避けたいものですが、損失を目の前にすると合理的な判断が下せなくなることも少なくありません。自分自身でもそういった性質を自覚しないままでいると、資産運用やギャンブルなど、お金に絡む出来事で大きな失敗をしてしまうリスクも膨らむでしょう。

そこで今回は、筑波大学の山田洋准教授に、プロスペクト理論の概要から活用方法まで詳しくお話を伺いました。

プロスペクト理論の重要な2軸は主観的価値と加重確率関数

クリックアンドペイ(以下KL):最初に、プロスペクト理論とは何か教えていただけますか?

山田氏:プロスペクト理論は、人のお金の感じ方は客観的なものではなく、客観からずれて主観で見ている、ということを理論として定式化したものです。

主観を客観的に測定すると、お金の損得に関する行動がどれくらい主観的かがわかります。ここで重要なのは、得と損では感じ方に差があるということです。先に得について説明すると、得の感じ方には頭打ちになるような傾向があるといわれています。例えば1,000円持っていてもう1,000円もらうと、2,000円で2倍になりますよね。ですが、もともと100万円持っていて1,000円もらった場合は、もらった金額は同じなのにそんなに増えた感じがしないんです。それこそ、1兆円と1兆1,000円なんて同じ、みたいに感じてしまう。つまりお金は金額が上がれば上がるほど、増えたように感じないということがわかっているんです。

上の図を見てもらうとわかりますが、増加の仕方を見てみると真っ直ぐにはなっていません。金額が増えていくとだんだん頭打ちになっていきます。このことはギャンブルで測ることができて、リスクを嫌う人は得の感じ方が頭打ちになる価値観を持っていることが多いんです。投資やギャンブルを嫌うような性質の人の根本には、こういった感じ方があるわけです。ただ、逆に金額が大きくなるほど嬉しいと感じる人もまれにいます。そういう人は理論上、ギャンブルを好んだり、リスクを取れる人だということになります。これが行動の測定から定式化される、プロスペクト理論の利得に関する主観です。

KL:損失については、利得とは感じ方が異なるのでしょうか?

山田氏:損失に関する主観は、利得と違って少しでも損をすると大きな損失だと感じる傾向があります。

図でいうと、損失の部分は上向きのカーブになっていますよね。これは主観的な損失の感じ方が急激に大きくなっていること、そして利得と比べ損失に対しより敏感になっていることを示します。人間には損を大きく評価する主観があるといわれていて、その局面に置かれると、多くの人はできるだけ損を回避するためにリスクを取る選択をするんです。

つまりプロスペクト理論でいうと、人は利得局面ではリスクを嫌って頭打ちになる価値観を持っている。一方の損失局面では、利得に比べて損失を過大に評価する傾向があり、逆にリスクを取って損失を回避しようとする傾向がある、ということになります。これが基本的に7〜8割の人に当てはまる典型的な例です。

KL:7~8割ということは、当てはまらない人もいるのでしょうか?

山田氏:ごくまれにすごく合理的な人が居て、この線が45度になっていて、全部真っ直ぐなんです。

言い換えれば主観と客観が一致している。そういう人はトレーダーだったり、いろんなところでお金を扱いながら、何が合理的かを理論的に判断してその通りに振る舞える人が多い、といわれていますね。ただ、やはり一般的には7〜8割の人に観察される主観的な感じ方だと客観から完全にずれている、というのがプロスペクト理論の一番重要なところです。

山田氏:そしてもうひとつ、プロスペクト理論で重要な概念が確率の感じ方です。

どういうことかというと、例えば50%といわれても、その人の主観では客観的な50%とは感じていないんです。これは行動経済学でいわれるところの、最も標準的な主観的な確率の感じ方です。下の図でいうと、横軸が客観で縦軸が主観になっていて、低い確率ならその数値よりも高く見積もります。逆に高い確率なら実際の数値よりも低く見積もる、逆S字になっている。これがプロスペクト理論の加重確率関数です。

そしてこの確率の感じ方については、私の共同研究者のオーストラリア人の研究で、主観的な確率の感じ方は以前に何を経験したかで変わる、という結果が出ています。例えば、災害を経験したなら本来まれにしか起きないものがまた起きるんじゃないか、と感じる。利得でも同様で、たまたま宝くじの大当たりを経験したからまた当たるんじゃないか、と思うわけです。そして、これら全ての主観に基づいて、期待値と呼ばれる確率と量をかけたものを計算して人間は行動しているんじゃないか、といわれています。

人間が感じる損失には多様性があり一定のものではない

KL:人がなぜ損失を嫌う傾向があるのか、理由はすでに解明されているのでしょうか?

山田氏:損失に対して過剰に反応する理由については、脳神経科学の観点から見ても、完全に答えが出ているわけではありません。ただ、いくつかの可能性は考えられます。

まずひとつ目は、お金を大きく失うことに対する恐怖の影響です。脳には恐怖の感情を生み出している部位があるんですが、損失が出た時にその部位の活動が活発になることが知られているんです。一部の人において、過大な損失が恐怖感を引き起こしているとすれば、当然それを過大に評価しますし、できるだけ逃げようとする。一度経験したことは二度としないようにする。そうやって、損失をより重く評価することの説明はできるんじゃないかな、という面があります。

ふたつ目は、恐怖を感じた時に抗うための脳の機能としての「怒り」です。人間はストレスを感じて怒ったりすることがありますが、なぜ怒るかといえば、生きていく上で自分の命が危ないと思った時の反応として、怒って自らを奮い立たせ、戦う人もいるわけです。そうすると損失に対してより強く、アグレッシブに働きかけることになるので、利得よりも損失を重視する傾向がある。このように説明することもできます。

こうしていろいろな可能性が考えられるのは、損失や負の影響に対する人の反応には多様性がある、という実験結果が出ているためです。損失に対して個人個人でいろいろな反応の仕方があって、全体的にはとにかく悪いものを避けようとする。脳の機能としては、もともとそういった生得的な部分に関わる、種の存続に関わるような状況を回避するために多様性が残っている、という可能性もあるかもしれません。

KL:なるほど。損失の感じ方にも多様性があるというのは、身近な例で考えてみてもかなり納得感のあるお話だと感じます。そのような多様性が生じる要因には、生まれ育った環境なども影響するのでしょうか?

山田氏:そうですね。やはり、お金の感じ方はどういう局面で取り扱っているのか、どう学習したかに依存するのではないかと思います。

私自身の体験でいうと、母がすごく節約心が高い人だったので、切符を買う時も10枚分のお金で11枚もらえるものを買ったりしていたんですよ。そうすると1回あたり30円くらい節約できる、と。人はそうやって、日常生活の中でリスクの許容度を育んでいます。それこそ、小さい頃から家が裕福で毎月お小遣いを10万円もらっていたか、それとも毎月1,000円だったのかでも、リスクの許容度はだいぶ違ってくるはずです。

一方で、投資のように比較的リスクが大きく、日常生活の中ではなかなか触れる機会のないものは、うまれ育つ中で身につけてきた価値観とは別の扱いになっているんじゃないでしょうか。私は外貨預金をやっているんですが、どうやって儲けを出すかを考えた時に、最初の頃は少しでも金額がマイナスになると気になって仕方なかったんですが、だんだんと仕組みがわかってくると反応も変わる、ということは私自身体験していますからね。お金の感じ方、価値観は、学んでいくうちに少なからず変化は起こっていくものなのでしょう。

損失の感じ方は生まれ育った環境や背景によっても変わる

KL:今、投資のお話が出て少し気になったのですが、欧米では株式などで資産運用をする方が多い一方で、日本では投資などのリスクを嫌う方が多いといわれています。こうした違いも、国ごとの文化的背景に起因するものなのでしょうか?

山田氏:海外の方が比較的リスクを取れる可能性があることが何に起因しているかは、断定は難しいですね。

投資においてはそもそも、損失や利得を日常生活とは違った感じ方をするように訓練されている場合があります。命の価値が万人共通の形で測れるわけではないのと同様に、投資についても局面ごとに別々の価値観を持っている可能性が考えられるわけです。特に欧米の方々は幼い頃からそういう教育を受けていることが多いので、トレードでは比較的合理的な判断がしやすいのでは、と考えることはできます。そういう意味では、逆に日本人はそういう教育を受けていないから、トレードにおける合理的な判断を苦手としている人が多い、ともいえるかもしれません。

また別の考え方として、投資にまつわる日本人と海外の方の違いはリスク許容度の問題で、損失の問題ではない可能性もあります。日本人はどうしてもリスクを嫌う傾向が強く、安全なものを好むように思いますし、リスク許容度が災害の前後で変わるかについても行動経済学で研究され始めています。例えば、日常の中で大きな災害が起きると、リスクの許容度は変わってしまう可能性が指摘されています。リスク許容度がそうやって日常生活の環境に密接に依存している場合には、日常生活で震災などの大きな災害に遭遇してきた日本人の方が、損失や負の影響に対して敏感になりやすくなっている、という可能性が考えられるのではないでしょうか。

KL:プロスペクト理論について考える際には、自分自身の生まれ育った環境や培ってきた経験も踏まえて判断する必要があるのですね。ほかにも、プロスペクト理論について学ぶ際に注意すべき点などがあれば教えていただきたいです。

山田氏:プロスペクト理論はあくまでも人の行動の大部分を説明したもので、説明しきれない部分もたくさんある、ということは知っておくべきです。

一番わかりやすいのは、プロスペクト理論が確率と量をかけた期待値に依存している点です。主観的な確率とお金の感じ方をかけたもので判断しているので、中にはそうしない人もいるんです。例えば宝くじって、何等が何本当たったのかを見れば期待値の計算は簡単にできてしまいます。実は宝くじの期待値は絶対にマイナスになるように作られているんですが、そのことを知っていたら誰も買わないはずですよね。なのに買う人がいることを、本当にプロスペクト理論で説明できるのかどうかは議論のわかれるところです。プロスペクト理論の枠組みで説明しようとすると、低い確率を高く見積もっているから宝くじを買ってしまうんじゃないか、という説明もできなくはない。ただ、そもそも期待値なんて考えていない人も多いと思うので、プロスペクト理論に当てはまらない行動をする人もいる、となるわけです。実は私も昔、宝くじを1回買ってみたら1万円くらい当たって、次もまた当たるんじゃないかなと買ったことがあったんですよ。それこそ確率の感じ方が変わってしまっているいい例なんですが、その後は結局マイナス2万円か3万円になって「やっぱりこれ当たらないんだな」となってやめたんです。

ただプロスペクト理論を学べば、多くの人がこうだ、というものがある事柄に関して一般的な人の客観からのずれ、主観を客観的に測りやすくなることは確かです。なので、日常生活でいうならギャンブルのようなものに対して、ギャンブルにはまりやすいとか、負けると取り返そうという気持ちが強く働くとか、そういった自分自身の特性を把握するためには役立つと思います。プロスペクト理論が全てだとは思わずに、こういう傾向があるから気をつけよう、と心がけるきっかけにするくらいに考えていただくといいのではないかと思いますね。

自身の損失への感じ方を知ることが資産運用への第一歩

KL:確かに、プロスペクト理論ではこうだから、と決めつけるのではなく自分自身がお金や損失にどう反応するか、を理解しておくことが重要になりますね。

山田氏:そうなんです。特に資産運用においては、プロスペクト理論の観点から損失を過大に評価してしまうかどうかが人によって大きくわかれます。なので、まずは自分がどのような特性を持っているのかを客観的に把握することが大切です。

ただ、気をつけなければいけないのは、現状の投資関連のサービス提供の仕方だと、「リスクを理解しました」と言質を取るだけのようになってしまっている点です。行動経済学的には、質問用紙などへの記入でセルフチェックは可能なんですが、投資を促進している会社でそういったプログラムを取り入れている事例はあまり目にしません。新NISAにしても、非課税で儲かるとうたっていますが、実際には日経平均の価格がどんどん上がっていて、儲けが出る可能性が非常に高いからみんなで新NISAやりましょう、となっているのかもしれません。なので、インフレ状態が大分頭打ちになってきている現状から見て、上昇の勢いが弾けた時に損をする人も増えてしまうことが懸念されます。

今の状況は利用者寄りとはいえないので、今後はもっと工夫が望まれるところです。例えば、絶対損をしたくないと思っているけれど、「投資したら儲かる」と聞いて心が揺らいでいる人なんかに、事前にスクリーニングを行って教育の機会を設ける。また、リスクが高い取引に関しては本当にやるのかどうか、どうやるのかを訓練するプログラムを用意するのも自分の特性を把握して投資の準備をするために効果的でしょう。そういったサービスの個別化が促進されれば日本人の投資に対する考え方も少しずつ変わってくるかもしれませんね。

KL:貴重なお話、ありがとうございます。最後に読者の方へ向けてメッセージをお願いできますか?

山田氏:やはり、損に対してどう反応するかは経験するまでわかりません。なので、まずは少額で金額を決めた上で経験してみることが大切です。

パチンコなどでは数千円がいきなり10万円になったり、というのを日常生活の中で比較的簡単に経験できますし、日本では公営ギャンブルってたくさんあるので、経験したことに基づいてギャンブルにのめり込みやすいんだな、といった判断ができます。

日本では今、カジノを含むIR(統合型リゾート施設)の誘致構想の話が進んでいて、ギャンブル依存症との兼ね合いから法的規制についても議論されています。また、私は内閣府主導の「ムーンショット型研究開発制度」でどうやって社会設計をしたらより幸せになれるのか、社会科学の研究者の方々と一緒になって研究を行っています。国としても、50年後の幸福な社会の実現に向けて社会全体が進んで行く事は重要だと捉えていますが、ぜひ個人としても自身の特性と向き合う機会を設けてみてください。